まっさらな瞳

こんにちは。

このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。

 

ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。

 

私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。

 

このブログでは、

 

自己信頼や内なる叡智を思い出すこと

 

自分らしい生き方を育む気づき

 

夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント

 

などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。

 

ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。

 

さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。

 

 

以前の私は、知らず知らずのうちに

「自分じゃない自分」を持っていたように思う。

 

 

強く見られたい。

 

しっかりしていると思われたい。

 

優しい人と思われたい。

 

理解のある人でいたい。

 

 

 

そんなふうに、たくさんの

「こう見られたい自分」を抱えて生きていた。

 

 

でもある時、それがとても重くなった。

 

疲れてしまった。

 

 

そして、ふっと手を離した。

 

 

 

すると不思議なことに、

何かを失った感覚ではなく、

むしろ軽くなった感覚があった。

 

 

本来の自分に戻ったような感覚だった。

 

 

 

私はよく、「強さ」や「弱さ」

という言葉について考えることがある。

 

でも最近思うのは、

それらは絶対的なものではないということだ。

 

 

 

自分では弱みだと思っていることを、

誰かは魅力だと感じるかもしれない。

 

自分では強さだと思っていることを、

別の誰かは無理をしているように感じるかもしれない。

 

 

結局のところ、強さも弱さも、

その人の価値観の中で生まれるものなのだと思う。

 

 

だから、強くなろうとしなくていい。

 

弱さを隠そうとしなくていい。

 

 

ただ、自分に正直であればいい。

 

そんなふうに感じるようになった。

 

 

 

 

世の中にはたくさんの肩書きがある。

 

先生。

 

経営者。

 

専門家。

 

リーダー。

 

有名人。

 

 

肩書きを聞くだけで、

「すごい人だな」と感じることもある。

 

 

もちろん、その人が積み重ねてきた努力や経験には敬意を持ちたい。

 

 

 

けれど、肩書きそのものは情報に過ぎない。

 

それは目に見える実体ではない。

 

 

 

だから私は最近、

肩書きに圧倒されることが少なくなった。

 

 

そして、自分自身も

肩書きのために何かを目指したいとは思わなくなった。

 

 

 

 

もし本当にやりたいことがあって、

その結果として肩書きがついてくるのなら素敵だと思う。

 

 

 

でも、

 

「すごいと思われたい」

 

「認められたい」

 

「価値があると思われたい」

 

という理由で肩書きを追いかけると、

自分を見失ってしまう気がする。

 

 

 

本音で生きることは簡単そうで難しい。

 

 

 

 

なぜなら、自分の頭の中には

たくさんの他人が住んでいるからだ。

 

 

 

嫌われたくない。

 

弱いと思われたくない。

 

かっこ悪いと思われたくない。

 

 

そんな声が聞こえてくる。

 

 

すると、自分の本音ではなく、

その声に合わせた選択をしてしまう。

 

 

でも、それを続けていると疲れてしまう。

 

 

なぜなら、それは

本当の自分ではないから。

 

 

 

 

だから私は最近、

 

 

弱く見られてもいい。

 

かっこ悪く見られてもいい。

 

そう思っている。

 

 

 

完璧じゃなくていい。

 

立派じゃなくていい。

 

ただ、自分でいたい。

 

 

 

その方がずっと楽だし、

心も体も喜んでいる気がする。

 

 

 

 

何者かになろうとするよりも、

 

自分として生きる。



 

その方が、ずっと自然で心地いい。

 

最近はそんなふうに感じている。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

 

先日、ある話を聞いた。

 

 

 

飲食店を経営している男性がいて、その方には奥様がいる。

 

その男性いわく、

 

「うちの妻は、私が浮気をしてもいいと言っている」

 

のだそうだ。

 

さらに奥様は、

 

「私より素敵な女性だったら認めてあげる。もし本当にそんな人が現れたら離婚してあげる」

 

とも言っているらしい。

 

 

 

昔の私なら、

 

「なんて器の大きい人なんだろう」

 

と思っていたかもしれない。

 

 

 

けれど今の私は、少し違う見方をしている。

 

 

もちろん、本当に嫉妬をしない人もいると思う。

 

束縛を好まない人もいるし、

パートナーを一人の人間として尊重する人もいる。

 

 

だから、そのご夫婦がどうなのかは、私にはわからない。

 

 

 

ただ、その話を聞いていてふと思った。

 

人は時々、本音よりも恐れを選ぶことがあるのではないか、と。

 

 

 

「私より素敵な女性だったら認める」

 

という言葉の中には、比較が存在している。

 

 

私より上か下か。

 

勝ちか負けか。

 

選ばれるか選ばれないか。

 

 

 

もし本当に何も恐れがなければ、

そもそも比較する必要もないのかもしれない。

 

 

 

だから私は、その言葉の奥にあるものが少し気になった。

 

 

 

もしかしたら、

 

「嫉妬したくない」

 

「重い女と思われたくない」

 

「理解のある妻でいたい」

 

そんな思いもあるのかもしれない。

 

 

 

もちろん、これは私の想像でしかない。

 

 

正解は本人にしかわからない。

 

でも人は、本音をそのまま見せるよりも、

強く見える自分を選ぶことがある。

 

 

平気なふりをしたり。

 

余裕があるふりをしたり。

 

器が大きいふりをしたり。

 

 

それは弱いからではなく、

傷つくのが怖いからだ。

 

 

 

 

 

考えてみれば、

恋愛も同じかもしれない。

 

 

 

 

本当に好きな人がいても、

失恋が怖くて気持ちを伝えられないことがある。

 

振られたくないから、

無難な相手を選ぶこともある。

 

 

一人になる不安から、

好きではない相手と付き合うこともある。

 

 

 

私はそれを責めたいわけではない。

 

 

 

なぜなら、人はみんな怖いからだ。

 

 

 

拒絶されるのは怖い。

 

傷つくのは怖い。

 

失うのは怖い。

 

それが人間だと思う。

 

 

 

 

ただ私は、自分の本音だけは

見失いたくないと思っている。

 

怖くてもいい。

 

不安でもいい。

 

嫉妬してもいい。

 

 

 

でも、本当は何を感じているのかだけは、

自分で知っていたい。

 

そう思う。

 

 

 

人は強いようで弱い。

 

弱いようで強い。

 

 

 

本音で生きたいと思いながら、恐れにも支配される。

 

だからこそ、人間は面白い。

 

そして、その複雑さがあるからこそ、
人を理解することも、自分を理解することも、
一生終わらないのかもしれない。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



 

最近、自分とのつながりについて考えている中で、

ひとつ思い出した出来事がありました。

 

 

 

それは人間関係の中で感じた、

ある窮屈さについてです。

 

 

 

 

例えば、

 

AさんとBさんがいたとします。

 

 

 

 

二人は以前は仲が良かったけれど、

ある出来事をきっかけに関係がこじれてしまいました。

 

 

Aさんは傷つき、

 

「もうBさんとは仲良くできない」

 

と言っています。

 

 

 

 

私はAさんと仲が良く、信頼関係もあります。

 

 

一方で、Bさんとはまだ深い交流はありません。

 

 

でも、私はBさんに対して特に悪い印象もなく、

 

「どんな人なんだろう」

 

「もう少し話してみたいな」

 

そんな気持ちを持っていました。

 

 

 

 

この時、多くの人はどうするでしょうか。

 

 

 

 

Aさんの気持ちを考えて、

 

Bさんと距離を置くかもしれません。

 

 

 

私自身も長い間、

 

それが当たり前だと思っていました。

 

 

 

でもある時、

信頼している方に相談したことがあります。

 

 

 

すると、

 

「あなたがBさんと交流したいなら、交流していいと思う」

 

と言われました。

 

 

 

最初は驚きました。

 

 

でも続けてこう言われたのです。

 

「もしそのことでAさんが離れていくなら、それはあなたの責任ではない」

 

「大事なのは、あなたがどうしたいかだと思う」

 

その言葉を聞いた時、

 

私はほっとした反面、

 

強い罪悪感も感じました。

 

 

 

 

なぜなら私は、

 

どこかでこう思っていたからです。

 

「自分の気持ちを優先するのはわがままだ」

 

「相手が傷つく可能性があるなら我慢するべきだ」

 

「仲良くしたいと思っても、その選択はしてはいけない」

 

 

 

そんな思い込みです。

 

 

 

 

でも最近になって気づきました。

 

 

 

 

私は本当にAさんを大切にしていたのでしょうか。

 

 

 

それとも、

 

嫌われたくなかっただけなのでしょうか。

 

 

 

 

 

もちろん相手への配慮は大切です。

 

でも、

 

配慮と自己犠牲は同じではありません。

 

 

 

 

私は長い間、

 

その違いが分からなくなっていたように思います。

 

 

 

 

そして今回さらに気づいたことがあります。

 

 

 

それは、

 

私の中にずっと隠れていた問いです。

 

 

 

 

「私は自由でいてもいいのだろうか」

 

 

 

 

この問いはとても不思議でした。

 

 

 

 

なぜなら私は、

 

この問いそのものを考えないようにしていたからです。

 

 

 

自由になりたい。

 

自由に選びたい。

 

そんな気持ちが出てきても、

 

すぐに打ち消していました。

 

 

 

「それはわがままだ」

 

「そんなことを考えてはいけない」

 

「答えはもう出ている」

 

 

 

そうやって自分で蓋をしていたのです。

 

 

 

でも本当は違いました。

 

 

 

私は誰かを傷つけたいわけではありません。

 

裏切りたいわけでもありません。

 

 

 

ただ、

 

自分が感じたことを大切にしたかった。

 

自分がどうしたいのかを知りたかった。

 

 

 

それだけだったのです。

 

 

 

今振り返ると、

 

私が恐れていたのは自由そのものではなく、

 

 

自由になることで

誰かを傷つけるかもしれないという不安

だったのかもしれません。

 

 

 

でも人生は一人ひとりのものです。

 

選択もまた一人ひとりのものです。

 

 

 

私は私の人生を生きる。

 

相手は相手の人生を生きる。

 

 

 

その中でお互いを尊重する。

 

 

 

それは決して冷たいことではなく、

 

むしろ健全な信頼なのかもしれません。

 

 

 

 

そして私は今、

 

少しずつ思えるようになってきました。

 

 

 

 

自由でいることは、

 

誰かを大切にしないことではない。

 

自分を大切にすることでもあるのだと。

 

 

 

もしかすると、

 

自分とのつながりとは、

 

こういう小さな選択の中で育っていくものなのかもしれません。






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現状を変えたいなら、まずはここから

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私はこれまで、

 

「セクシャルウェルネスを広めたい」

 

そう思って活動してきました。

 

 

 

そして今も、その思いは変わっていません。

 

 

 

私は自分のことを、

 

セクシャルウェルネスメンターと名乗っています。

 

 

 

人から仕事を聞かれたら、

 

「セクシャルウェルネスメンターをしています」

 

 

そう答えます。

 

 

 

 

でも正直に言うと、

 

私は長い間、どこかで立ち止まっていました。

 

 

 

 

発信したいのに進めない。

 

伝えたいのに言葉にならない。

 

 

そんな感覚がありました。

 

 

 

 

 

なぜだろう。

 

そう思いながらも、

なかなか答えが見つかりませんでした。

 

 

 

 

振り返ると、

 

私はどこかで、

 

セクシャルウェルネスという

言葉に対する人の反応を気にしていたのかもしれません。

 

 

 

 

性について学んでいる人。

 

エロスが好きな人。

 

快感を追求する人。

 

 

 

 

そんなふうに受け取られることへの抵抗感もありました。

 

 

 

 

 

でも今は思います。

 

 

 

どう受け取るかは相手の自由です。

 

 

 

 

興味があれば聞いてくれるでしょう。

 

興味がなければ通り過ぎるでしょう。

 

 

 

それは相手の選択です。

 

 

 

 

 

だから私は、

 

誤解されないように説明し続ける必要も、

 

証明し続ける必要もないのだと思います。

 

 

 

 

 

ただ、自分が大切にしていることを

誠実に伝えていけばいい。

 

 

 

そう思えるようになりました。

 

 

 

 

 

そして最近、大きな気づきがありました。

 

 

 

 

私はセクシャルウェルネスを伝えたいだけではなかったのです。

 

 

 

 

 

 

私が本当に伝えたかったのは、

 

「自分とのつながり」

 

でした。

 

 

 

 

自分の気持ちを感じること。

 

自分の本音に気づくこと。

 

自分を信頼すること。

 

自分を理解すること。

 

 

 

 

 

私はずっと、

 

そこを伝えたかったのです。

 

 

 

 

 

セクシャルウェルネスも、

 

NVCも、

 

ヒーラー養成講座も、

 

 

全部そのための入口でした。

 

 

 

 

 

でも私はいつの間にか、

 

入口の説明ばかりをしようとしていました。

 

 

 

 

本当に見せたかった景色ではなく、

 

入口そのものを説明しようとしていたのです。

 

 

 

 

だから苦しかったのかもしれません。

 

だから進めなかったのかもしれません。

 

 

 

 

今回ようやく気づきました。

 

 

 

 

私が届けたいのは、

 

自分とのつながり。

 

 

 

 

自己理解。

 

自己信頼。

 

 

 

そして、

 

「私は私でいていい」

 

という感覚です。

 

 

 

 

それを伝えるために、

 

私はセクシャルウェルネスという入口を選んでいる。

 

 

 

 

そう考えたとき、

 

すべてが一本の線でつながりました。

 

 

 

 

 

今思うのです。

 

私は新しい何かを見つけたのではありません。

 

 

 

 

 

ずっと大切にしていたものを、

 

ようやく自分自身に認めることができたのだと思います。

 

 

 

 

 

だから今、

 

とても不思議な感覚があります。

 

 

 

 

何かを達成したわけではありません。

 

何かが完成したわけでもありません。

 

 

 

 

 

それなのに、

 

やっとスタート地点に立てた気がするのです。

 

 

 

そして今まで開けようとしていた扉ではなく、

 

 

 

本当に開けたかった扉を、

 

ようやく開け始めた気がしています。






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私は長い間、

 

自分と向き合うことが少し怖かったように思います。

 

 

 

 

なぜなら、

 

向き合った先には醜い自分がいる。

 

 

 

 

そんな話を聞くことがあったからです。

 

 

 

 

 

嫉妬。

 

怒り。

 

執着。

 

認めたくない感情。

 

 

 

 

 

自分と向き合うとは、

 

そういったものを見ることだと思っていました。

 

 

 

だから怖かったのです。

 

 

 

 

 

でも今回、自分の気持ちと向き合ってみて思いました。

 

 

 

私が出会ったのは、

 

醜い自分ではありませんでした。

 

 

 

とても素直な気持ちでした。

 

 

 

 

本当はつながりたかった。

 

本当は大切にされたかった。

 

本当は寂しかった。

 

 

そんな純粋な思いでした。

 

 

 

 

そして私は、もう一つ気づきました。

 

たとえ人が「醜い感情」と呼ぶようなものがあったとしても、

 

それは本当に醜いのでしょうか。

 

 

 

 

もしかすると、

 

ただその人の内側から生まれた、

 

ありのままの気持ちなだけなのかもしれません。

 

 

 

 

そこに良いも悪いもなく、

 

高いも低いもなく、

 

ただ存在しているだけ。

 

 

 

 

私たちが勝手に名前を付けているだけなのかもしれません。

 

 

 

 

今回、自分の気持ちに触れて感じたのは、

 

自分を裁く必要はないということでした。

 

 

 

理解することはできる。

 

感じることもできる。

 

 

 

でも裁かなくていい。

 

 

 

 

自分の本音は、

 

誰かに見せるためのものではありません。

 

 

 

誰かに評価してもらうためのものでもありません。

 

 

 

まずは自分自身が出会うためのものです。

 

 

 

 

 

そして私は今、

 

以前よりもずっと自然な気持ちで、

 

自分と向き合える気がしています。

 

 

 

怖いから向き合うのではなく、

 

もっと知りたいから向き合う。

 

 

 

直したいから向き合うのではなく、

 

理解したいから向き合う。



 

そんなふうに、
自分との関係が少し変わった気がしています。







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私はこれまで、

「大きな変化」や「変容」というものに対して、

どこか特別なイメージを持っていました。

 

 

 

 

人生が変わるような気づき。

 

衝撃的な体験。

 

劇的な覚醒。

 

 

 

まるで夜空に打ち上がる花火のように、

 

ドーンと大きな音を立ててやって来るものだと思っていました。

 

 

 

 

でも今回、自分の中で起きた変化は違いました。

 

 

 

 

とても静かでした。

 

 

誰かから見れば、

何も起きていないように見えたかもしれません。

 

 

 

 

でも私の内側では、

 

世界の見え方が変わっていました。

 

 

 

 

私は長い間、

 

なぜ傷ついた相手を気にしてしまうのか分かりませんでした。

 

 

 

そして今回、

 

その奥にあった寂しさに気づきました。

 

 

 

その瞬間、

 

何かが弾けたわけではありません。

 

劇的な感動があったわけでもありません。

 

 

 

でも、

 

「ああ、そういうことだったのか」

 

という深い納得がありました。

 

 

 

そして不思議なくらい心が軽くなりました。

 

 

 

 

今思うのです。

 

 

 

本当に深い変化というのは、

 

打ち上げ花火のようなものではないのかもしれません。

 

 

 

 

むしろ、

 

静かに地面の下で根を張る

木のようなものなのかもしれません。

 

 

 

 

外からは見えない。

 

派手さもない。

 

 

 

でも気づいたときには、

 

もう以前と同じ景色ではなくなっている。

 

 

 

 

今回の体験を通して、

 

私はそんな変化の存在を知りました。

 

 

 

 

 

静かだけれど確かな変化。

 

 

 

 

それこそが、
本当の変容なのかもしれません。




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今日、たまたま

YouTubeを見ていました。

 

 

 

ブログのネタを探していたといえばそうかもしれません。

 

 

 

でも今思うと、

 

ネタを探していたというより、

 

私自身がまだ気づいていない自分を探していたのかもしれません。

 

 

 

動画を見ながら、

 

ずっと心の奥にあった感覚を思い出しました。

 

 

 

私はずっと、

 

 

嫌なのに気になる。

 

傷ついたのに期待してしまう。

 

 

そんな自分を抱えていました。

 

 

 

 

誰にも言えませんでした。

 

 

 

だって恥ずかしかったからです。

 

 

普通なら、

 

嫌だったら離れる。

 

傷ついたら終わる。

 

それで話は終わるはずです。

 

 

 

でも私はそうではありませんでした。

 

 

 

だから余計に、

 

自分でも理解できませんでした。

 

 

 

けれど今日、その気持ちと向き合いました。

 

最初は痛かったです。

 

 

 

 

正直、見たくない気持ちでもありました。

 

 

 

 

でも向き合った先で見つけたのは、

 

執着でもなく、

 

ひねくれでもなく、

 

「寂しかった」

 

という気持ちでした。

 

 

 

 

その瞬間、

 

涙があふれてきました。

 

 

 

悲しかったからではありません。

 

 

 

やっと気づいたからです。

 

やっと分かってあげられたからです。

 

 

 

 

今振り返ると、

 

私の中の私がずっと待っていたのかもしれません。

 

 

 

 

「本当は寂しかったんだよ」

 

「本当はつながりたかったんだよ」

 

 

そう言ってほしかったのかもしれません。

 

 

 

 

今日流れた涙は、

 

何かを失った涙ではなく、

 

 

 

 

ようやく自分自身に出会えた涙だったような気がしています。

 

 

 

 

そして不思議なくらい、

 

今は心が爽やかです。

 

 

 

 

問題が解決したわけではありません。

 

人生が変わったわけでもありません。

 

 

でも、

 

長い間見えなかった自分の気持ちが見えた。

 

 

 

 

それだけで、
人はこんなにも軽くなれるのだと知りました。






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私は長い間、自分のことを

少しひねくれているのかもしれないと思っていました。

 

 

 

だって、おかしいじゃないですか。

 

 

 

嫌な思いをした相手なのに気になる。

 

傷ついた相手なのに連絡が来ないかなと思う。

 

 

 

もう関わりたくないと言いながら、

どこかで相手のアクションを期待している。

 

 

 

そんな自分を見て、

 

私は自分でも理解できませんでした。

 

 

 

 

だから、

 

「私はひねくれているのかな」

 

「面倒くさい人間なのかな」

 

 

 

そんなふうに思っていました。

 

 

 

 

でも今回、

自分の気持ちを丁寧に見ていったときに気づいたのです。

 

 

 

私はひねくれていたわけではありませんでした。

 

 

 

私は寂しかったのです。

 

 

もっと心を通わせたかった。

 

もっと関心を向けてほしかった。

 

もっと大切に扱われたかった。

 

もっと本音でつながりたかった。

 

 

 

その願いが叶わなかった。

 

 

 

 

だから未完了だった。

 

だから心に残っていた。

 

 

 

ただそれだけだったのです。

 

 

 

 

 

それに気づいたとき、

 

私は初めて自分のことを責めなくなりました。

 

 

 

 

今まで私は、

 

気持ちそのものよりも、

 

 

 

 

そんな気持ちを持っている自分を否定していました。

 

 

 

でも本当は、

 

責められるような気持ちではなかったのです。

 

 

 

 

ただ寂しかっただけ。

 

ただつながりたかっただけ。

 

 

 

 

そう思えたとき、

 

長い間自分に向けていた

厳しい視線が少し緩んだ気がしました。




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今回の気づきは、

 

人間関係の話だと思っていました。

 

 

 

でも振り返ってみると、

それだけではなかったようです。

 

 

 

私はずっと、

 

誰かと深くつながりたいと思っていました。

 

 

 

本音で話したい。

 

安心して心を開きたい。

 

理解し合いたい。

 

 

 

そんな願いがありました。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「この人になら話せるかもしれない」

 

と思えたことが、

とても嬉しかったのだと思います。

 

 

 

 

でも今回、自分の寂しさに気づいたとき、

あることを感じました。

 

 

 

私は他者とのつながりを求めていたつもりだったけれど、

 

本当は自分自身とのつながりも求めていたのかもしれない。

 

 

 

私はずっと、

 

傷ついたことを見ていました。

 

怒りを見ていました。

 

悲しみを見ていました。

 

 

 

でもその奥にあった、

 

「寂しかった」

 

という気持ちには気づいていませんでした。

 

 

 

 

今回、その気持ちを見つけることができました。

 

 

 

誰かに埋めてもらうためではなく、

 

まず自分自身が気づいてあげるために。

 

 

 

そう思うと、この出来事は

ただの人間関係の出来事ではなく、

 

自分自身を知るための旅だったのかもしれません。

 

 

 

 

まだ途中です。

 

 

 

 

でも今は、

 

他者とのつながりを探していた道の先で、


 

少しずつ自分とのつながりを
見つけ始めているような気がしています。





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今振り返ると、


私がその人のことを気にしていた理由は、

その人自身だけではなかったのだと思います。

 

 

 

私はその人に対して、

 

生まれて初めて、

 

「この人になら本音を話せるかもしれない」

 

そう感じました。

 

 

 

 

恋愛ではありません。

 

 

 

 

でも心の奥では、

とても大きな出来事でした。

 

 

私はこれまで、自分の本音や、

本当に感じていることを安心して話せる感覚を、

あまり持ったことがありませんでした。

 

 

だからこそ、

 

「この人になら話せるかもしれない」

 

そう思えたことが嬉しかったのです。

 

 

 

 

希望でした。

 

安心でした。

 

喜びでした。

 

 

 

 

でも現実には、

私が思い描いていた関係にはなりませんでした。

 

 

関わる中で、

私は尊厳を傷つけられたような感覚を覚えました。

 

 

 

このまま関わり続けると自分が苦しくなる。

 

そう感じて距離を置くことにしました。

 

 

 

 

けれど今思うのです。

 

 

私が失ったと感じていたのは、

その人だけではなかったのだと。

 

 

 

 

私は、

 

「本音でつながれる関係」

 

を失ったように感じていたのかもしれません。

 

 

 

 

だから未完了だった。

 

だから寂しかった。

 

 

 

 

だから心のどこかで、

 

「何か連絡が来ないかな」

 

と思っていたのかもしれません。

 

 

 

 

その気持ちに気づいたとき、

 

 

私は少しだけ

自分を理解できた気がしました。


 


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 幸せの魔法使い☆まみ 

性を通して本来の自分に還る

心・身体・性を整え、人生を再構築する

電話番号:08053094890

営業時間:10:00~17:00

所在地 : 山形県北村山郡大石田町大字大石田乙690-1  サロン情報はこちら