まっさらな瞳

こんにちは。

このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。

 

ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。

 

私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。

 

このブログでは、

 

自己信頼や内なる叡智を思い出すこと

 

自分らしい生き方を育む気づき

 

夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント

 

などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。

 

ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。

 

さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。


焦りの挑発に、乗らない


 

「早くしなきゃ」

「急がなきゃ」

「時間がない」

「こんなことをしている場合じゃない」

 

焦っているとき、

自分の内側ではものすごい速さで時間が流れているように感じることがあります。

 

まるで何かに追いかけられているような、

もうすでに遅れているような、

今すぐ何とかしなければ取り返しがつかなくなるような。

 

焦りって、ときどき私たちを挑発してくるんですよね。

 

「ほら、早くして」

「間に合わなくなるよ」

「もっと急いで」

 

そして私たちは、その挑発に乗せられてしまうことがあります。

 

 

 

 

 

 

「時間がない」と思ったら、アイラインが引けなくなった


 

以前、寝坊をしてしまったことがありました。

 

急いで準備をしなくちゃ。

早くメイクをしなくちゃ。

 

そう思いながらメイクを始めたのですが、いつもなら自然に引けるアイラインが、なぜかうまく引けない。

 

「時間がない」

「早くしなきゃ」

 

そう思えば思うほど手が震えて、かえって時間がかかってしまいました。

 

そのとき、

 

「あれ? これでは逆に時間をロスしているな」

 

と思ったんです。

 

そこで一度、気持ちを切り替えました。

 

もう、時間はたっぷりある。

大丈夫。

 

そう自分に声をかけるようにして、深く呼吸をして、息を整えました。

 

そして「急がない」と決めて、もう一度メイクを始めてみたんです。

 

すると、不思議なくらい、さささっとできました。

 

 

 

 

 

 

焦っていたのは、私の内側の世界だった


 

そして、そのときもう一つ気づいたことがありました。

 

焦っている私の内側では、

 

「急げ」

「時間がない」

「遅れている」

 

という、とても慌ただしい時間が流れていました。

 

ところが、ふっと目の前の景色を見てみたんです。

 

そこには、さっきまでと何も変わらない静かな景色がありました。

 

窓からは暖かな太陽の光が入ってきていて、

部屋には穏やかな時間が流れていました。

 

外の世界まで一緒になって、

 

「急げ!」

「早く!」

 

と私を追い立てていたわけではなかったんです。

 

慌ただしくなっていたのは、

私の内側の世界でした。

 

目の前を流れている時間そのものは、

とても静かでした。






 

焦りに従えば、早く進めるとは限らない


 

私はこれまで、焦りに押されて大きなことに挑戦したこともあります。

 

「早く形にしなくちゃ」

「早く完成させなくちゃ」

 

そんな焦りに乗せられて、何度も形にしようとしました。

 

けれど、結果として白紙に戻すことになった経験もありました。

 

その経験から私は、

 

焦りに従って行動することが、必ずしも早く目的地に着くことではない

 

と感じるようになりました。

 

急いで引こうとしたアイラインが、かえって引けなくなったように。

 

人生でも、焦っているときほど視野が狭くなって、

本当は何をしたかったのか、

自分はどう感じているのか、

何を選びたいのかが見えなくなることがあります。

 

だから今の私は、焦りがやってきても、その挑発にできるだけ乗らないようにしています。

 

「あ、来たね」

 

そのくらい。

 

焦りと戦うわけでもない。

焦りをなくそうと必死になるわけでもない。

焦りについて延々と考えるわけでもない。

 

ただ、焦りにハンドルを渡さない。

 

そして私は、私の速度に戻ります。

 

 

 

 

 

 

余白があるから、生まれるものがある


 

急がなくなって気づいたのは、

 

余白があるからこそ、生まれてくるものがある

 

ということでした。

 

自分の本当の声って、

案外とても静かです。

 

「私は、こっちが好き」

「これはちょっと違うかも」

「もう少しここを考えたい」

「これをやってみたい」

 

そんな小さな囁きのようなものだったりします。

 

だから、

 

「早く」

「もっと」

「次へ」

「間に合わない」

 

という大きな声で内側がいっぱいになっていると、

その小さな声は聞こえにくくなります。

 

余白ができる。

 

静けさが戻ってくる。

 

するとようやく、

自分の声が聞こえてくる。

 

そして、その声を聞きながら一つずつ作っていくと、

時間はかかったとしても、

自分が本当に作りたかったものに近づいていけるように私は感じています。

 

 

 

 

 

 

時間は、そんなに騒いでいない


 

焦っているときには、

世界中が自分を急かしているような気持ちになることがあります。

 

でも、そんなときこそ、

一度、目の前を見てみる。

 

窓から入ってくる光。

静かに置かれている家具。

目の前にあるもの。

自分の呼吸。

 

もしかしたら、

 

時間そのものは、私が思っているほど騒いでいないのかもしれません。

 

騒がしくなっているのは、

自分の内側だけなのかもしれない。

 

だったら、その速さに乗らなくてもいい。

 

深く息をして、

自分の速度に戻ればいい。

 

焦りに支配されない時間には、

余白があります。

 

余白があるから、

丁寧に暮らせる。

 

余白があるから、

冷静に考えられる。

 

余白があるから、

自分にとって大切なものを選べる。

 

そして余白があるからこそ、

まだこの世界になかった何かが、

自分の中から静かに生まれてくることもある。

 

だから私は、

焦りに挑発されても、その挑発には乗らない。

 

急かされる時間ではなく、

私自身の時間を生きていきたいと思っています。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから



最近、また悪魔学の本を読んでいます。

 

少し難しくて、

わかるような、わからないような。

 

それでも面白くて、ゆっくり読み進めています。

 

そんな中で、ふと思いました。

 

日本人にとって「悪魔」という存在は、もともとはあまり馴染み深いものではなかったのではないか、と。

 

もちろん今では、映画や漫画、ゲーム、タロットなど、いろいろなところで「悪魔」という言葉や姿に触れます。

 

けれど日本には、日本なりの「怖いもの」がありました。

 

鬼、妖怪、もののけ、怨霊、幽霊。

 

病気や災いをもたらすと考えられた、目には見えない存在。

 

西洋の悪魔とは少し違います。

 

これはあくまで私個人の感覚なのですが、西洋の悪魔には、どこか大きくて、力強くて、輪郭のはっきりした怖さを感じます。

 

それに対して日本の怪異には、少し湿度を感じます。

 

暗いところに何かいるような。

まとわりつくような。

はっきり姿が見えないのに、何かの気配だけがするような。

 

同じ「怖い存在」でも、怖さの質が違うように感じるのです。

 

もちろん、実際の歴史や宗教はそんなに単純には分けられません。

 

日本の鬼という存在にも、中国の思想や仏教など、海外から入ってきた文化が長い時間をかけて混ざっています。

 

閻魔様もそうです。

 

閻魔様の源流をたどると、古代インドのヤマという存在に行き着きます。

 

古い神話の中では、ヤマは最初に死者の道をたどった者として語られ、やがて死者の王とされました。

 

それが長い時間をかけて仏教や中国の冥界観などと結びつき、日本にやってきた頃には、私たちにも馴染み深い「閻魔大王」へと姿を変えていきました。

 

そう考えると、とても不思議です。

 

人間は昔から、

 

「これは何なんだろう?」

 

というものにたくさん出会ってきたのだと思います。

 

突然、人が病気になる。

 

昨日まで元気だった人が亡くなる。

 

作物が実らない。

 

嵐が来る。

 

夜の暗闇から、何かの気配を感じる。

 

今なら、病原菌やウイルス、気象現象、身体の仕組みなど、科学によって説明できることがたくさんあります。

 

けれど、それがわからなかった時代の人にとっては、

 

「何かがいるのではないか」

 

「何かの仕業なのではないか」

 

と考えることは、それほど不思議なことではなかったのかもしれません。

 

そしてここから、私は別のことを考え始めました。

 

人間って、物理的な現実だけを生きているわけではないんだな、と。

 

たとえば映画を観ているとき。

 

身体は映画館の椅子に座っているのに、意識は物語の世界へ入っていきます。

 

本を読んでいるときもそうです。

 

目の前にあるのは紙と文字なのに、頭の中では知らない町が広がり、人が歩き、声が聞こえ、その人たちの人生に泣いたり笑ったりします。

 

夢を見ているときには、身体は布団の中にいるのに、知らない場所を歩いていることさえあります。

 

千円札だって、物理的に見れば印刷された一枚の紙です。

 

でも私たちは、そこに「千円」という意味や価値を共有しています。

 

人間は、目の前にある物質だけではなく、そこに意味を感じたり、まだ目の前にないものを心の中に描いたりしながら生きている。

 

そんなことを考えていたら、さらに面白いことに気づきました。

 

「恐れ」と「夢」は、意外と近いところから生まれているのかもしれません。

 

恐れは、

 

「もし、こんなことになったらどうしよう」

 

と、まだ起きていない未来を想像します。

 

夢は、

 

「こんなふうになったらいいな」

 

と、まだ存在していない未来を想像します。

 

どちらも、今ここにはまだありません。

 

はっきり決まってもいません。

 

だから怖い。

 

そして、だからこそワクワクする。

 

もちろん恐れと夢は同じものではありません。

 

でも、どちらにも、

 

「目の前にはまだないものを思い描く」

 

という人間の力が使われているのかもしれない。

 

そう思ったら、とても面白くなりました。

 

人間は、わからないものを怖がります。

 

「これは何だろう」

「この先どうなるんだろう」

 

その「わからない」の中から、悪魔や妖怪や怨霊のような存在を想像してきたこともあったのでしょう。

 

でも同じように、

 

「この先、どんな人生になるんだろう」

「こんなふうに生きられたらいいな」

 

という、まだ見ぬ未来も想像します。

 

見えないから怖い。

 

でも、見えないから可能性もある。

 

もしかすると人間は、現実の世界を生きながら、同時にたくさんの「意味の世界」を行き来して生きているのかもしれません。

 

過去を思い出したり、

未来を想像したり、

物語の世界へ入ったり、

夢を見たり、

まだ存在しないものを思い描いたり。

 

そして、その想像する力によって怖くなることもあれば、その力によって今日を一ミリ動かすこともできる。

 

悪魔のことを考えていたはずなのに、また人間の話になってしまいました。

 

そして最後には、やっぱり自分に戻ってきます。

 

まだ決まっていない未来を前にしたとき、

 

「怖いな」

 

と思う私もいる。

 

同時に、

 

「こんなふうになったらいいな」

 

と思う私もいる。

 

どちらも、まだ見えないものを見ることのできる私。

 

そう考えると、恐れが生まれるこの想像力は、夢を見るための力でもあるのかもしれません。

 

人間って、目の前の現実だけを生きるには、少し想像力が豊かすぎる生き物なのかもしれませんね。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

現状を変えたいなら、まずはここから




悪魔のことを考えていたら、「人間はなぜ祈るのか」にたどり着いた


 

ふと、こんなことを思いました。

 

「悪魔」と呼ばれるような存在は、神よりも前から、悪魔という名前ではなくても存在していたのだろうか?

 

もちろん、本当にそのような存在がいたのかという話ではありません。

 

人間が「自分たちには到底及ばない、大きな力を持った何かがいるのではないか」と考えることは、いつ頃から始まったのだろう?という疑問です。

 

 

 

 

 

 

人間にはどうすることもできない「何か」


 

昔の人たちは、今よりずっと自然と直接向き合いながら生活していました。

 

雨が降らなければ、作物が育たない。

 

雨が降りすぎても、作物が駄目になってしまう。

 

嵐や洪水が起これば、家や畑が失われることもある。

 

病気が流行っても、なぜ病気になったのか分からない。

 

現代のような気象予報も、医学も、科学的な説明もありません。

 

そんな世界で生きていたら、

 

「これは一体、何が起こっているんだろう?」

 

と思うのは、とても自然なことだったのではないでしょうか。

 

最初から「神様」や「悪魔」という、人間のような姿をした存在を想像していたとは限りません。

 

もっと漠然と、

 

自然の中には、人間には到底及ばない「何か」がある。

 

雨を降らせる何か。

 

風を吹かせる何か。

 

作物を育てる何か。

 

ときには、人間の命まで奪ってしまう何か。

 

そんなふうに感じていた人たちもいたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

怖いのは「見えない存在」ではなく、「何が起こるか分からないこと」なのかもしれない


 

考えているうちに、もう一つ気づいたことがありました。

 

人間が怖かったのは、「見えない存在」そのものではなかったのかもしれません。

 

本当に怖かったのは、

 

「次に何が起こるか分からないこと」

 

だったのではないでしょうか。

 

今年は雨が降るのか。

 

作物はちゃんと実るのか。

 

家族は病気にならずに冬を越せるのか。

 

この病気はいつ終わるのか。

 

明日も無事に生きていられるのか。

 

しかも、その「分からない」は、現代の私たちが感じる未来への不安よりも、ずっと直接的に命と結びついていた場合もあったでしょう。

 

今の私たちには、天気予報があります。

 

病気になれば医療があります。

 

食べ物は、自分で育てなくてもお店で買うことができます。

 

雨風をしのげる家があり、電気があり、水道があります。

 

もちろん、現代でもすべての人の安全が保障されているわけではありません。

 

それでも、生きるためのたくさんの仕組みに守られていることは、改めて考えると本当にありがたいことだと思います。

 

 

 

 

 

 

何もできないより、「できること」があったほうが安心する


 

でも昔は、原因さえ分からないことがたくさんあった。

 

そんなとき、

 

「神様が怒っているのかもしれない」

 

「何か大きな存在が関係しているのかもしれない」

 

と考えたとします。

 

すると、

 

祈ってみよう。

 

収穫した穀物を捧げよう。

 

供物をしてみよう。

 

みんなで儀式をしてみよう。

 

という「できること」が生まれます。

 

もちろん、それによって本当に雨が降ったのか、本当に病気が治ったのかという因果関係とは別の話です。

 

けれど、

 

「何もできない」

 

という状態から、

 

「自分たちにできることをした」

 

という状態には移ることができます。

 

それだけでも、不安の大きさは違ったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

「機嫌の分からない親」と少し似ていると思った


 

ここで私は、親子関係のことを思い浮かべました。

 

たとえば、親の機嫌が日によって大きく変わる家庭にいたとします。

 

子どもには、なぜ親の機嫌が悪いのか分かりません。

 

すると、

 

「私が何かしたのかな?」

 

「いい子にしていたら怒らないかな?」

 

「明るくしていたら、お父さんも機嫌がよくなるかな?」

 

と考えることがあります。

 

本当は子どもとは関係のない理由で親の機嫌が悪かったのかもしれません。

 

それでも、

 

「こうすれば大丈夫」

 

という方法があったほうが、子どもにとって世界は少し予測しやすくなります。

 

自然に対する祈りや儀礼にも、一部にはこれと似た心理があったのかもしれないと思いました。

 

雨が降らない。

 

理由が分からない。

 

怖い。

 

でも、

 

「何か大きな存在が怒っているのかもしれない」

 

と考えれば、

 

「では、祈ってみよう」

 

という行動が生まれます。

 

理解できない世界に原因を見つけて、そこに働きかける方法を作る。

 

それは、不確実な世界の中で安心して生きるための、人間なりの知恵でもあったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

昔の人は、どうしてそこまで信じられたんだろう?


 

私はこれまで、昔の宗教や悪魔、魔術、呪術などについて知ると、

 

「どうして昔の人は、そこまで見えない存在を信じたり、恐れたりしたんだろう?」

 

と思うことがありました。

 

現代から見ると、迷信のように感じることもあります。

 

でも今回、

 

「もし私自身が、その時代に生まれていたら?」

 

と考えてみました。

 

現代の知識を持ったまま昔へ行くのではありません。

 

科学的な気象予報も知らない。

 

細菌やウイルスについても知らない。

 

現代医学も知らない。

 

自分が生まれ育った村では、昔から、

 

「こういうときには、こうして祈るんだよ」

 

「こういうものを捧げるんだよ」

 

と教えられている。

 

もしそんな世界に私が生まれていたら。

 

たぶん私も祈ったと思います。

 

「こうするといいよ」と教えてもらったら、やってみたと思います。

 

家族を守りたいから。

 

自分も生きたいから。

 

できることがあるなら、やっておきたいから。

 

そう考えたら、昔の人たちとの距離が急に縮まったように感じました。

 

 

 

 

 

 

変わったのは「人間」よりも、人間を取り囲む世界なのかもしれない


 

昔と今では、生活環境は大きく違います。

 

科学も医学も発達しました。

 

自然について分かることも、とても増えました。

 

それでも人間は、

 

未来を知りたい。

 

大切な人を失いたくない。

 

健康でいたい。

 

安全に暮らしたい。

 

何が起きているのか知りたい。

 

自分にできることがあるなら、やっておきたい。

 

そう思います。

 

ここは、昔の人とそれほど変わっていないのかもしれません。

 

未来についても同じです。

 

どれだけ科学が進歩しても、私たちは未来そのものを見ているわけではありません。

 

だから今でも、

 

「これからどうなるんだろう」

 

「私は大丈夫かな」

 

と思うことがあります。

 

昔と現代では、その不安への向き合い方や、利用できる知識や方法が変わった。

 

けれど、

 

安心して生きたい。

命を守りたい。

大切な人を守りたい。

 

という人間の根っこの部分は、案外変わっていないのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

「生きる」から「どう生きる」へ


 

そして現代の日本では、少なくとも昔と比べれば、生きるための土台を社会の仕組みに支えてもらえる場面が増えました。

 

蛇口をひねれば水が出る。

 

お店に行けば食べ物がある。

 

雨風をしのげる家がある。

 

病気になれば医療を受けられる。

 

だからこそ、私たちは昔とは違う方向から「命」を考えるようになったのかもしれません。

 

「今日、生き延びられるだろうか」

 

だけではなく、

 

「私は、どう生きたいんだろう?」

 

「私は何を大切にしたいんだろう?」

 

「私は何を感じているんだろう?」

 

「私はどんな人なんだろう?」

 

と。

 

生きることから、どう生きるかへ。

 

そこから自分自身を知っていくことも、現代に生きる私たちなりの「命を知る」ということなのかもしれません。

 

悪魔についてふと思った小さな疑問から始まったのに、ずいぶん深いところまで来ました。

 

でも考えてみると、神も、悪魔も、祈りも、魔術も、その背景にはいつも、それらについて考えた「人間」がいます。

 

だから歴史を知ることは、昔の不思議な世界を知るだけではなく、

 

「人間って、どんな生き物なんだろう?」

 

と知っていくことでもあるのかもしれません。

 

そして昔の人を知ろうとすることは、巡り巡って、

 

今を生きている自分自身を知ることにもつながっている。

 

今回、そんなことを感じました。







魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから



私が「透視をする」のではなく、透視術を教えている理由


 

私は、千里眼透視術を学ぶための講座をいくつか提供しています。

 

透視術を自分で身につけて、自分自身の人生に活かしてみたい。

 

自分の中にある感覚や能力を、もっと育ててみたい。

 

そんな方に向けて、私が学び、実践してきた「透視する方法」をお伝えしています。

 

 

 

 

 

 

「本当にできるなら、私を見てください」

 

 

透視術の講座を販売していると、

 

「本当に透視できるの?」

「少し私を見てもらえませんか?」

 

と思う方がいるのも、とても自然なことだと思っています。

 

実際、以前お問い合わせをいただいたこともありました。

 

そのとき私は、鑑定はお受けしていないことをお伝えしました。

 

なぜなら、私がその講座で提供しているのは、

 

「私があなたを透視すること」ではなく、「あなたが自分で透視するための方法」

 

だからです。






 

私があなたの未来を見るための講座ではありません


 

もちろん、透視鑑定そのものを商品として出品しているときに、正式にご依頼をいただいたのであれば、鑑定というサービスとしてお引き受けします。

 

でも、透視術の講座はそれとは別のものです。

 

私があなたの未来を見て、

 

「こうなりますよ」

「こちらへ進んだほうがいいですよ」

 

と答えを渡すためのものではありません。

 

あなた自身が自分の感覚を育て、自分の人生を見るための透視術です。

 

私はここを、とても大切にしています。

 

 

 

 

 

 

自分の人生を動かしていけるのは、自分自身だから


 

どれだけ誰かに未来を見てもらっても、最終的にその人生を生きるのは自分自身です。

 

何を選ぶのか。

 

どちらへ進むのか。

 

何をやめるのか。

 

何を始めるのか。

 

そして、見えてきたものを自分の人生にどう活かしていくのか。

 

それを決めていくのも自分です。

 

だから私は、私が答えを見て渡し続けることよりも、

 

自分で感じ、自分で確かめ、自分の人生に活かしていける方法をお伝えしたい。

 

そう思っています。






 

透視術は「答えをもらうもの」ではなく、ひとつの道しるべ


 

私は、透視術を人生の絶対的な答えだとは考えていません。

 

透視したものに人生を決めてもらう必要もないと思っています。

 

感じたこと、見えたことをひとつの情報として受け取り、

 

「私はどうしたいんだろう?」

 

と、自分自身に戻ってくる。

 

透視術も、自分の人生をより深く知り、自分らしく歩いていくためのひとつの道しるべとして使うことができます。

 

 

 

 

 

 

能力を見せたいのではなく、あなた自身に使ってほしい


 

だから私は、能力をひけらかしたいわけでもありません。

 

反対に、能力を出し惜しみしているわけでもありません。

 

私が提供したいものが、そこではないのです。

 

「私にはこんなことができます」と見せることより、

 

「あなたも、自分の中にある感覚を育ててみませんか?」

 

と伝えたい。

 

そして、身につけたものを私のためではなく、あなた自身の人生のために使ってほしい。

 

それが、私が透視術を「鑑定してあげるもの」ではなく、「自分で使える方法」としてお伝えしている理由です。

 

 

 

 

 

 

自分の人生を見る人は、自分自身


 

私があなたの未来を見るための講座ではありません。

 

あなた自身が自分の感覚を育て、自分の人生を見るための透視術です。

 

未来の答えを誰かから受け取るためではなく、

 

自分自身の感覚と出会い、自分の人生を自分で歩いていくために。

 

透視術が、そのためのひとつの小さな道しるべになればいいなと思っています。







魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション

 

先日、仕事をするデスクの配置を変えたことから、「ゼロ円開運」ということを考えました。

 

運を良くするために、自分を何かの正解に合わせるのではなく、

 

「私は、こっちのほうが心地いい」

 

「このほうが使いやすい」

 

「ここにいると落ち着く」

 

そんな自分の感覚を確かめながら、自分が自然に動ける環境をつくっていく。

 

特別なものを買わなくてもできるから、

 

「ゼロ円開運」

 

そんなふうに名づけてみました。

 

そして、このことについて考えていたら、もう一つ大切なことに気づきました。

 

自分が心地よくいられる環境をつくるためには、まず、

 

「私は今、どう感じている?」

 

と、自分の状態を知ることが必要なんですよね。

 

心地いい?

 

窮屈じゃない?

 

疲れていない?

 

つらくない?

 

無理していない?

 

本当は嫌じゃない?

 

私は今、どんな感じ?

 

そんなふうに、ときどき自分自身に声をかけてみる。

 

考えてみれば、私たちは大切な友達には、自然とこういうことをしています。

 

久しぶりに会った友達に、

 

「最近どう?」

「元気にしてた?」

 

と聞いたり。

 

体調を崩していた友達が元気になって戻ってきたら、

 

「もう大丈夫?」

「無理しないでね」

 

と声をかけたり。

 

少し元気がなさそうだったら、

 

「何かあった?」

「疲れてない?」

 

と気にかけたり。

 

大切な人だから、その人が今どんな状態なのかを知ろうとする。

 

そして、必要ならそっと寄り添ったり、力になろうとしたりする。

 

それなら、自分自身にも同じようにしてあげてもいいんですよね。

 

「私、最近どう?」


「私、今どんな感じ?」

 

ときどき、自分に聞いてあげる。

 

でも、ここで大切なのは、

 

すぐに解決してあげることではありません。

 

友達から、

 

「最近ちょっと疲れてるんだ」

 

と聞いたとき、必ずしもすぐに解決策を見つけてあげる必要はありません。

 

「そうなんだ。疲れてるんだね」

 

と、まずその人の状態を知る。

 

それだけのこともあります。

 

自分に対しても、きっと同じです。

 

「私、疲れてるんだな」

 

「思っていたより窮屈だったんだな」

 

「本当は、これ嫌だったんだな」

 

「頑張っていたんだな」

 

「本当は、こっちのほうが好きだったんだな」

 

まずは、それを知ってあげる。

 

すぐに直さなくてもいい。

 

すぐに元気にならなくてもいい。

 

すぐに答えを出さなくてもいい。

 

ただ、

 

「今の私は、そう感じているんだね」

 

と、自分が自分のことを知っている。

 

私は、このことがとても大切なのではないかと思います。

 

私たちは毎日、自分自身と一緒に生きています。

 

それなのに、自分が何を感じているのかを確認しないまま、

 

「こうしたほうがいい」

 

「これくらい我慢しなきゃ」

 

「まだ頑張れる」

 

「みんなやっているから」

 

と、自分をどんどん先へ進ませてしまうことがあります。

 

でも、ときどき立ち止まって、

 

「ねえ、私。最近どう?」

 

と聞いてみる。

 

すると、今まで聞こえていなかった小さな声に気づくことがあります。

 

「ちょっと疲れてる」

 

「本当は休みたい」

 

「これは好きじゃない」

 

「こっちのほうが落ち着く」

 

「これは楽しい」

 

「もう少しやってみたい」

 

そんな自分の声を知る。

 

私は、これもまた、

 

「自分と仲良くなる」

 

ということの一つなのだと思います。

 

自分と仲良くなるというのは、自分を思い通りに変えることではなくて。

 

まず、

 

自分を知ろうとすること。

 

大切な友達の様子を気にかけるように、自分の様子も気にかけてみる。

 

何か問題が起きたときだけではなく、

 

「最近どう?」

 

と、ときどき自分のところへ様子を見に行く。

 

そして、

 

「そっか。今はそうなんだね」

 

と知ってあげる。

 

そこから必要なら、休むこともできる。

 

環境を変えることもできる。

 

やめることもできる。

 

続けることもできる。

 

誰かに助けを求めることもできる。

 

でも、それはその次の話。

 

まずは、今の自分を知ることから。

 

今回の「ゼロ円開運」も、結局ここにつながっていたのかもしれません。

 

自分が自然に動ける環境をつくるためには、

 

「一般的には何がいいの?」

 

だけではなく、

 

「私はどう?」

 

を知らなくてはいけない。

 

心地いい?

 

使いやすい?

 

落ち着く?

 

疲れてない?

 

無理してない?

 

今の私は、どんな感じ?

 

そうやって、自分の声を聞きながら環境を整えていく。

 

それは、自分の人生を自分で大切に扱うことでもあるのだと思います。

 

そしてこれは、お金をかけなくても、今日からできます。

 

朝起きたときでもいい。

 

仕事の途中でもいい。

 

夜、眠る前でもいい。

 

ふと思い出したときに、

 

「私、今どう?」

 

と聞いてみる。

 

答えがすぐに出なくてもいい。

 

何も感じなくてもいい。

 

まずは自分に問いかけてみる。

 

大切な友達を気にかけるように、

 

自分のことも、気にかけてあげる。

 

そんな小さなやりとりの積み重ねから、

 

自分との関係も少しずつ育っていくのかもしれません。

 

「私、最近どう?」

 

ときどき、自分にも聞いてあげたい言葉です。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション


今日は久しぶりに、仕事をするデスクの配置を変えました。

 

配置替えといっても、実際には以前の位置に戻しただけなのですが、

 

「ああ、やっぱりこっちのほうがいいな」

 

と感じました。

 

使いやすい。

なんとなく落ち着く。

仕事をしようと思ったときにも、自然に動きやすい。

 

そして今回、机を動かしながら、ふと思ったことがあります。

 

もしかすると、こういうことこそが、私にとっての「開運」なのかもしれない、と。

 

世の中には、風水やおまじない、昔から伝わる知恵など、さまざまなものがあります。

 

「この方角がいい」

「ここにはこれを置くといい」

「こうすると運気が上がる」

 

そうしたものを楽しんだり、暮らしに取り入れたりすること自体は、私はいいと思っています。

 

たとえば、

 

「こういう自分になりたいから、この方角に頭を向けて寝てみよう」

 

と願いを込めて試してみる。

 

そして実際に、

 

「なんだか落ち着くな」

「よく眠れる気がする」

「この向き、私は好きだな」

 

と感じたなら、そのまま取り入れればいい。

 

何かに願いを込めることも、何かに効果を期待することも、悪いことではないと思います。

 

大切なのは、

 

その中に「私」がいるかどうか。

 

なのかもしれません。

 

私自身、今回改めて気づいたことがありました。

 

感覚としては、

 

「なんだか落ち着かないな」

「使いにくいな」

「本当はこっちのほうがいいな」

 

と感じている。

 

それでも、

 

「でも、こっちのほうがいいと言われているから」

 

と、自分の感覚を後回しにしてしまうことがある。

 

幸せになるために取り入れたはずなのに、それによって今の自分が心地悪くなっている。

 

運を良くしたくて始めたはずなのに、

 

「これはしてはいけない」

「こうしなければいけない」

 

という決まりが増えて、自分自身が窮屈になっている。

 

それは、少し不思議なことですよね。

 

だから私は、外側にある知恵を否定するのではなく、

 

それを参考にしながらも、最後には自分に戻ってきたい

 

と思うようになりました。

 

「私は、どう感じている?」

 

「私は、どちらが心地いい?」

 

「私は、どちらが使いやすい?」

 

「私は、本当はどうしたい?」

 

そうやって、自分自身に聞いてみる。

 

そして、自分が安心して過ごせて、軽やかに、自由に、自然に動ける環境をつくっていく。

 

私は、これも一つの「開運」なのではないかと思っています。

 

名づけるなら、

 

「ゼロ円開運」

 

です。

 

特別なものを買わなくてもできます。

 

家具の位置を少し変えてみる。

 

使いにくいものを動かしてみる。

 

なんとなく落ち着かない場所を見直してみる。

 

自分が好きなものを、自分が心地いい場所に置いてみる。

 

そして何より、

 

「一般的にはどうなの?」よりも先に、

「私はどう感じる?」と聞いてみる。

 

もちろん、誰かの知恵を借りたっていい。

 

風水を参考にしたっていい。

 

願いを込めたっていい。

 

「こうなったらいいな」と効果を期待したっていい。

 

大切なのは、それを新しい「正解」にして、自分をそこへ無理やり押し込めないこと。

 

試してみて、

 

「これは私には合っている」

 

と思ったら取り入れる。

 

「私はやっぱりこっちのほうが好き」

 

と思ったら戻してみる。

 

一度選んだことを、途中で変えたっていい。

 

そうやって何度でも、

 

「私はどう感じている?」

 

と自分のところへ戻ってくる。

 

考えてみれば、私たちは日々、たくさんのものから影響を受けながら生きています。

 

誰かの言葉。

広告。

SNS。

世の中の常識。

「こうしたほうがいい」という情報。

 

人から影響を受けること自体は、悪いことではありません。

 

誰かの言葉に背中を押されることもある。

 

知らなかったことを教えてもらって、世界が広がることもある。

 

素敵なものを知って、「私もやってみたい」と思うこともあります。

 

だから、誰からも影響を受けない人になる必要はないのだと思います。

 

むしろ大切なのは、

 

影響を受けたあとにも、自分に戻ってこられること。

 

「私はどう感じている?」

 

と、自分に聞いてみること。

 

これは、自分の人生の舵を自分で取ることでもあり、

 

自分自身が、自分の人生の操縦席に座ること

 

でもあるのだと思います。

 

人生は、自分一人の力だけで動いているわけではありません。

 

人との出会いや協力、環境、タイミング。

 

自分ではコントロールできないたくさんのものが、思いがけず背中を押してくれることもあります。

 

それでも、その中で、

 

「私はこっちへ行ってみたい」

 

「これはやめておこう」

 

「これは好き」

 

「ここは心地よくない」

 

と感じながら、自分の人生を歩いていくのは自分自身です。

 

だから私は、

 

影響を受けない私になるのではなく、

影響を受けても、自分に戻ってこられる私でいたい。

 

そして何度でも、

 

「私は、どう感じている?」

 

と聞いてみたい。

 

もしかすると「自分と仲良くなる」ということも、こんな小さな問いかけから始まるのかもしれません。

 

開運のために、自分を何かに合わせるのではなく。

 

いろいろな知恵や人の力も借りながら、それでも最後には自分の感覚へ戻ってくる。

 

自分が安心して、心地よく、自然に動ける人生を、自分と一緒につくっていく。

 

それが今の私にとって、とても大切な「開運」なのだと思います。








魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション


セッションという時間について、最近改めて考えることがあります。

 

私にとってセッションは、ただ「料金をいただいて、決められた時間、サービスを提供する」というものではありません。

 

もちろん、お仕事として料金をいただいている以上、提供する側としての責任があります。

 

でも、それだけではないと思っています。

 

なぜなら、

 

あなたの時間も、私の時間も、命の時間だから。

 

1時間のセッションなら、お互いの人生に流れている1時間を、その場所に持ち寄っている。

 

クライアントさんは、自分の人生の大切な時間とお金を使って、その場所に来てくださる。

 

そして私も、自分の人生に流れている大切な時間を使って、その方と向き合います。

 

その方が何を望んでいるのか。

 

どんな未来へ行きたいのか。

 

今、どこで立ち止まっているのか。

 

何があれば、もう一度歩き出せそうなのか。

 

その方にとって、どんな方法が合っているのか。

 

必要であればヒーリングも使いながら、その方の夢や望む未来に向かって、私は全力で関わらせていただきます。

 

だから私は、セッションというものを、

 

お互いの命の時間を持ち寄って、一人の人の未来のために使う時間

 

だと思っています。

 

 

 

 

 

 

お金を払ったから「やってもらう」ではなく


 

セッションには料金があります。

 

でも私は、

 

「お金を払ったのだから、相手に何とかしてもらう」

 

という関係とは、少し違うと思っています。

 

もちろん、提供する側にはいただいた料金に対する責任があります。

 

でも、クライアントさんの人生を実際に生きることができるのは、クライアントさん自身です。

 

だから、

 

「私の人生を動かしていくために、この人に力を貸してもらう」

 

そんな感覚が、私はとても大切だと思っています。

 

そして、それは私の側も同じです。

 

「料金をいただいたから、決められたことを決められた時間だけ行う」

 

という感覚ではありません。

 

この方が、大切な人生の時間を使ってここに来てくださった。

 

そして、自分の人生の一部を私に話してくださっている。

 

だから私も、その方の人生に真摯に向き合いたい。

 

その方の未来のために、今の私ができることを精いっぱいしたい。

 

お金だけではなく、

 

時間も、真剣さも、信頼も、行動も。

 

いろいろなものが行き交う時間。

 

私にとってセッションとは、そんな時間です。

 

 

 

 

 

 

私は、あなたの人生を代わりに歩くことはできない


 

私は、あなたの人生を代わりに生きることはできません。

 

夢を代わりに叶えることもできません。

 

でも、

 

一人で歩けるようになるまで、一緒に歩くことはできます。

 

夢に向かって一歩進めたら、

 

「やったね」

 

と一緒に喜ぶ。

 

勇気を出して何かに挑戦したら、その一歩を一緒に喜ぶ。

 

思ったような結果にならなかったら、

 

「残念だったね」

 

と、その残念さも一緒に感じる。

 

そして、

 

「じゃあ、ここからどうしようか」

 

と、また一緒に道を探す。

 

嬉しい日だけではなく、悔しい日も、悲しい日も、迷う日もあると思います。

 

夢へ向かう道は、いつも一直線ではないから。

 

だから、その途中で生まれるいろいろな感情も一緒に感じながら、その方に合った道を一緒に探していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

私が増やしたい「魔法使い」


 

私は、「魔法使いを増やしたい」と思っています。

 

私が言う魔法使いとは、特別な能力を持っている人のことではありません。

 

自分と仲良くなっている人。

 

自分のことを知っている人。

 

自分の感覚に耳を傾けられる人。

 

自分の望みを知り、自分で選び、自分の人生を少しずつ動かしていける人。

 

そして、自分との関係や自己信頼を、これからも育て続けていける人。

 

つまり、

 

自分の人生に、自分自身が参加している人。

 

私は、そんな魔法使いを増やしたいのです。

 

だから私のところへずっと通い続けてもらうことが、私にとってのゴールではありません。

 

むしろ、いつか、

 

私がいなくても、自分の人生を歩いていけるようになること。

 

それは、とても嬉しいことだと思っています。

 

 

 

 

 

 

いつか訪れる「卒業」


 

一緒に歩いてきた人が、自分自身を知っていく。

 

少しずつ自分を信じられるようになる。

 

自分で考え、自分で選び、自分で一歩を踏み出せるようになる。

 

そして、いつか私の手を離れて、一人で歩いていく。

 

その日が来たら、きっと私は少し寂しいと思います。

 

でも、それ以上に嬉しい。

 

卒業式みたいなものなのかもしれません。

 

何かが終わってしまう日ではなく、

 

その人の新しい人生が始まる日。

 

だから、その背中を見送りながら、

 

「いってらっしゃい」

 

と言える人でありたい。

 

私は、そんな卒業の瞬間に、これからたくさん立ち会いたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

困ったときには、また戻ってきていい


 

もちろん、一人で歩き始めたからといって、もう二度と人の力を借りてはいけないわけではありません。

 

人生には、一人では難しいこともあります。

 

迷うこともあります。

 

自分だけでは見えなくなってしまうこともあります。

 

そんなときには、

 

「ちょっと力を貸して」

 

と、いつでも戻ってきていただいていいのです。

 

また必要なところだけ、一緒に歩けばいい。

 

そして、もう大丈夫と思ったら、

 

「いってらっしゃい」

 

と、また送り出す。

 

依存するのでもなく、

 

一人ですべてを背負うのでもなく、

 

必要なときには誰かの力を借りながら、それでも自分の人生の主役として歩いていく。

 

私は、そんな関係でありたいと思っています。






 

私も私の人生を生きる。あなたもあなたの人生を生きる。


 

私には、私の人生があります。

 

叶えたい夢があります。

 

見てみたい景色があります。

 

私も、自分自身の人生を創造しながら生きていきたいと思っています。

 

そして、あなたには、あなたの人生があります。

 

だから、

 

私も私の人生を生きる。

あなたもあなたの人生を生きる。

 

どちらかがどちらかの人生を背負うのではありません。

 

それぞれが、それぞれの人生を歩いている。

 

でも、ご縁があって道が重なったときには、一緒に歩くことができる。

 

お互いの大切な命の時間を持ち寄って、一緒に考え、一緒に感じ、一緒に未来へ向かっていく。

 

そして、その方が自分の人生を生き、その人生が花開く瞬間が来たら、

 

「やったね!」

 

と、一緒に喜びたい。

 

それは、私にとっても大きな喜びです。

 

私が叶えてあげたのではありません。

 

その人自身が、自分の人生を歩いて、たどり着いた場所だから。

 

だからこそ、心から一緒に喜びたいのです。

 

あなたの時間も、私の時間も、命の時間。

 

だから私は、一緒に過ごすセッションという時間を大切にしたい。

 

あなたの人生を代わりに生きる人ではなく、

 

あなたが自分の人生を歩いていくために、一緒に道を見つけ、必要なところを一緒に歩く人でありたい。

 

そしていつか、あなたが自分の足で新しい人生へ歩き出すときには、

 

心からその門出を祝って、

 

「いってらっしゃい」

 

と送り出したい。

 

そんな瞬間に、私はこれからたくさん立ち会いたいと思っています。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy


 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション



私は、「魔法使いを増やしたい」と思っています。

 

ここでいう魔法使いとは、特別な能力を持った人のことではありません。

 

自分を知り、自分の可能性を感じ、自分の人生に自分自身が参加していく人。

 

自分を癒したり、自分の望みを知ったり、自分の手で人生を少しずつ動かしたり。

 

「私にもできるんだ」

 

そんなふうに、自分自身の力や可能性に出会っていく人です。

 

だって、自分の人生を生きられるのは、自分自身だから。

 

自分の人生の主役は、最初から自分自身です。

 

誰かに認めてもらったから主役になるわけでも、何かができるようになったから主役になるわけでもありません。

 

もともと、自分の人生を生きているのは自分です。

 

だから私は、そのことを思い出してほしいのだと思います。

 

そして、

 

「私って、こんなこともできるんだ」

「私には、こんな感覚があったんだ」

「私、本当はこんなことを望んでいたんだ」

「私の人生って、こんなふうにも動かしていけるんだ」

 

そんなふうに、自分自身の可能性を知っていってほしい。

 

大きな夢を叶えることだけが、可能性ではありません。

 

今日は自分を少し楽にできた。

 

自分の気持ちに気づけた。

 

やりたかったことを1ミリやってみた。

 

自分で自分を癒してみた。

 

「これは嫌だったんだ」と気づけた。

 

「私はこっちが好き」と自分で選べた。

 

それも全部、自分の人生に自分自身が参加した瞬間なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

人を癒しません


 

先日、私は「人を癒しません」という投稿をしました。

 

これは、もうヒーリングをしないという意味ではありません。

 

これからも個人セッションやヒーラー養成講座、セクシャルウェルネスの講座など、その方と直接関わる時間の中で、必要に応じて、その方の状態に合ったヒーリングをお届けしていきたいと思っています。

 

もしかしたら、気分が乗った日にヒーリングライブをすることもあるかもしれません。

 

私が手放したいと思ったのは、

 

「私が癒す人」

「相手は癒してもらう人」

 

という関係が、ずっと続いていくことでした。

 

つらいときや困ったとき、人に頼ることはとても大切なことだと思っています。

 

一人で何もかもできる必要なんてありません。

 

私自身も、必要なときには誰かの力を借りながら生きていきたい。

 

でも、その人自身も自分を癒したり、自分を整えたり、自分がどうしたいのかを知ったり、自分の人生を少しずつ動かしていけるようになったら。

 

もっと人生の可能性は広がっていくのではないかと思うのです。

 

自分を癒すことができる。

 

家族や大切な人、友達、ペットにも、自分のできる範囲で手を差し伸べることができる。

 

そして安心できる場所を自分の中にも育てながら、新しいことにチャレンジしていく。

 

私は、一人のヒーラーがたくさんの人をずっと癒し続ける世界よりも、

 

たくさんの人が、それぞれ自分の中に小さな魔法を持っている世界を見てみたいのです。

 

 

 

 

 

 

一人で歩けるようになるまで、一緒に歩く



私自身も、自分の人生で叶えたい夢があります。

 

自分の人生を、自分自身で創造しながら生きていきたいと思っています。

 

私だって、自分の人生を歩いている一人です。

 

だからこそ、同じように、

 

「こんな人生を生きたい」

「こんな夢を叶えたい」

「ここへ行ってみたい」

 

というものを持っている人がいたら、その人の力になりたいと思います。

 

その人が一人で歩けるようになるまで、一緒に歩く。

 

うまくいった日には、

 

「やったね!」

 

と一緒に喜びたい。

 

思ったようにならなかった日には、

 

「残念だったね」

 

と、その残念さも一緒に感じたい。

 

嬉しいも、悔しいも、楽しいも、悲しいも。

 

夢までの道の途中に生まれるいろいろな気持ちを共有しながら、一緒に歩いていきたい。

 

そしていつか、その人が自分自身の足で歩き、自分の夢にたどり着いたとき、

 

「やったね!」

 

と一緒に喜びたいのです。

 

 

 

 

 

 

あなたの喜びは、私にとっても喜びだから


 

私は、自分自身の夢が叶ったら嬉しいです。

 

願っていたことが実現したら、もちろん幸せです。

 

でも、私に関わってくださった人の夢が叶ったときも、私は本当に嬉しい。

 

それは、

 

「あなたが幸せになったから、私はそのお裾分けをもらって嬉しい」

 

という感覚とも、少し違う気がしています。

 

私の幸せと、あなたの幸せを、きれいに二つに分けられないのです。

 

もちろん、人生はそれぞれのものです。

 

あなたの人生はあなたのもの。

私の人生は私のもの。

 

そこは混ざりません。

 

でも、関わった人が、

 

「できました」

「叶いました」

「こんなことが起きました」

「幸せです」

 

と教えてくれたら、

 

私は自分のことのように嬉しい。

 

だから「生きがい」というよりも、やっぱり私にとっては、

 

喜び

 

なのだと思います。

 

自分の夢を叶えることも嬉しい。

 

自分の人生を創造していくことも嬉しい。

 

そして、ご縁があって一緒に歩いた人が、自分自身の人生を歩き、自分の可能性を知り、自分の夢を叶えていくことも嬉しい。

 

どちらも、私の人生にある「喜び」です。

 

 

 

 

 

 

魔法使いを増やしたい

 

だから私は、魔法使いを増やしたい。

 

私が魔法をかけ続けるのではなく、

 

「あなたにも魔法は使えるよ」

 

と伝えていきたい。

 

そして、その人自身が、

 

「本当だ。私にもできた」

 

と自分の力に出会っていく。

 

いつか私の手を離れて、一人で歩いていく。

 

その背中を見送りながら、

 

「いってらっしゃい」

 

と言える人でありたい。

 

そしていつか、

 

「夢が叶ったよ」

 

そんな報告を聞けたなら、

 

一緒に思いきり喜びたい。

 

私も私の人生を生きる。

 

あなたもあなたの人生を生きる。

 

それぞれが自分の人生の主役として、自分の世界を創っていく。

 

そして、ときどき道が重なったときには、一緒に歩き、一緒に笑い、一緒に喜ぶ。

 

そんな魔法使いたちが増えていったら。

 

世界は今より少し、楽しくて、豊かで、自由になるんじゃないかな。

 

私は、そんな世界を見てみたいのです。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション



前回、

 

「夢に向かう時計は、自動ではなく手動なのかもしれない」

 

ということを書きました。

 

普通の時計は、私たちが何もしなくても進んでいきます。

 

でも、夢に向かう時計は少し違う。

 

自分が夢の方向へ1ミリ動いてみる。

 

すると、夢の時計も1ミリ進む。

 

今日は動きたくないと思ったら、動かさなくてもいい。

 

1ミリのつもりで始めたのに楽しくなってきたら、そのまま10ミリ、15ミリ進んでもいい。

 

そんなふうに、自分の手で動かしていく時計です。

 

でも、この夢の時計について考えていたら、もう一つ面白い特徴があることに気がつきました。

 

それは、

 

「この時計は、一定の速度で進むわけではない」

 

ということです。

 

 

 

 

 

 

夢までの距離は、計算式では測れない


 

普通の時計なら、

 

1秒の次は1秒。

 

その次も1秒。

 

同じ速さで時間を刻んでいきます。

 

でも、夢に向かう時計は、そんなに規則正しくありません。

 

今日1ミリ。

 

明日も1ミリ。

 

また別の日に1ミリ。

 

そんなふうに少しずつ動かしていたのに、

 

ある日突然、

 

「えっ?」

 

と思うようなことが起こることがあります。

 

思いがけない人とのご縁ができる。

 

誰かから声をかけてもらう。

 

たまたま必要な情報に出会う。

 

嬉しい出来事が起こる。

 

思いもしなかったところから機会がやってくる。

 

そして、それまでずっと遠くにあったように感じていた夢が、

 

突然、

 

「もしかしたら、これ本当に実現するかもしれない」

 

というところまで近づくことがあります。

 

私はこの瞬間を、

 

「夢の射程圏に突然入る瞬間」

 

と表現すると、とてもしっくりきます。

 

 

 

 

 

 

1ミリ、1ミリ、1ミリ……そして突然、大きく跳ぶ


夢までの道のりは、

 

1+1=2

2+2=4

 

というような、きれいな計算式ではないのだと思います。

 

1ミリ進んだから、明日も必ず1ミリ。

 

100日続けたから、必ず100ミリ。

 

そんな単純なものではありません。

 

1ミリ。

 

1ミリ。

 

また1ミリ。

 

しばらく何も変わっていないように感じる。

 

ところがある日突然、

 

ポンッ。

 

と針が大きく跳ぶ。

 

10ミリどころではなく、一気に夢のすぐ近くまで進んでしまうことだってあるかもしれません。

 

なんだか、

 

「いつ開くのかわからない、タイマー付きのびっくり箱」

 

みたいです。

 

ただし、そのタイマーがいつ鳴るのかはわかりません。

 

明日かもしれない。

 

一年後かもしれない。

 

そもそも、思い描いていた形では鳴らないかもしれない。

 

ここは誰にもわかりません。

 

だから、

 

「1ミリずつ進めば、○日後には必ず夢が叶います」

 

とは言えません。

 

夢は、そんなに計算通りには進まないものなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

ある日突然、「あと一手」のところまで来る


 

このことを考えていたとき、私は将棋の「王手」を連想しました。

 

もちろん、夢は勝ち負けではありません。

 

誰かと競争しているわけでもありません。

 

ただ感覚として、

 

ずっと遠くにあると思っていたものが、ある出来事によって突然、

 

「あと一手」

 

というところまで来ることがある。

 

昨日までは「いつか叶ったらいいな」だったものが、

 

突然、現実味を帯びてくる。

 

夢が、自分の手の届くところに入ってくる。

 

それが私にとって、

 

「夢の射程圏に入る」

 

という感覚です。

 

そして、そのきっかけは自分には予測できないことがあります。

 

だから面白いのです。

 

 

 

 

 

 

手動だけれど、全部を自力で動かす時計ではない


 

ここで、もう一つ大切なことに気づきました。

 

夢の時計は「手動」だけれど、

 

「すべてを自分一人の力で動かさなければならない時計」

 

ではないということです。

 

自分にできることは、

 

今日、動かしたいと思ったら1ミリ動かしてみること。

 

発信してみる。

 

調べてみる。

 

練習してみる。

 

作ってみる。

 

誰かに伝えてみる。

 

小さくてもいいから、現実の世界の中で何かを動かしてみる。

 

そこまでは自分の手でできます。

 

でも、その先で誰と出会うのか。

 

誰が自分の発信を見るのか。

 

どんな出来事につながるのか。

 

どこから思いがけない機会がやってくるのか。

 

そこまですべてを自分で設計することはできません。

 

だから、

 

自分で動かした1ミリと、

自分には予測できなかった何かが出会ったとき、

 

夢の時計の針が突然大きく跳ぶことがある。

 

そう考えると、

 

「夢を叶えるためには、全部自分でなんとかしなければ」

 

と思わなくてもいいのかもしれません。

 

自分の担当は、

 

今日の自分にできる1ミリ。

 

その1ミリを、自分がやってみたいと思える範囲で動かしてみる。

 

その先に何が起こるのかは、まだわかりません。

 

だからこそ、ちょっと楽しみでもあります。

 

 

 

 

 

 

もし、そこで夢が叶わなかったとしても


 

そして、ここも私は大切にしておきたいと思っています。

 

夢の射程圏まで来た。

 

「あと一手かもしれない」と思うところまで来た。

 

でも、結果として、その夢は思い描いていた形では叶わなかった。

 

そんなこともあると思います。

 

でも、それまで動かしてきた時計が、そこでゼロに戻るわけではありません。

 

その夢に向かって発信したこと。

 

学んだこと。

 

練習したこと。

 

出会った人。

 

挑戦したこと。

 

うまくいかなかった経験。

 

そして、

 

「私はこれが好きなんだ」

 

「これは思っていたものとは違ったな」

 

「本当はこっちに行きたいのかもしれない」

 

と自分について知ったこと。

 

それらは全部、自分の中に残っています。

 

もしかすると、

 

「この形ではなかった」

 

ということを知るために、そこまで歩く必要があったのかもしれません。

 

そして、その先に、

 

最初に思い描いていたものとは違うけれど、

 

「私が本当に見たかった景色は、こっちだったのかもしれない」

 

と思えるものに出会うことだってあるかもしれません。

 

だから私は、

 

「夢が叶わなかった=それまでが無駄だった」

 

とは思いたくありません。

 

そこまで時計を動かしてきたからこそ、見えた世界があります。

 

 

 

 

 

 

夢の時計は、ちょっと不思議な時計

 

 

普通の時計は、自動で一定に進みます。

 

夢の時計は、手動で不規則に進みます。

 

1ミリだけ進む日もある。

 

10ミリ、15ミリ進む日もある。

 

動かさない日があってもいい。

 

そして、ときどき、

 

思いもしなかったところから何かがやってきて、

 

針が大きく跳ぶことがある。

 

いつ跳ぶのかは、わかりません。

 

必ず跳ぶとも言えません。

 

だからこそ、

 

「いつ叶うんだろう」

 

と時計をずっと睨んでいるよりも、

 

今日の私は、

 

「今日は1ミリ、何をしてみたい?」

 

と自分に聞いてみる。

 

それくらいでいいのかもしれません。

 

昨日まで遠くに見えていた夢が、

 

明日も同じ距離にあるとは限らない。

 

今日動かした小さな1ミリが、

 

いつか思いがけない何かとつながって、

 

突然、夢を射程圏に連れてくることだってある。

 

そう思うと、

 

夢に向かって動くことは、

 

ただゴールまでの距離を縮める作業ではなく、

 

「この先、何が起こるんだろう」

 

という小さな冒険のようにも感じます。

 

今日の1ミリの先に何があるのか。

 

それは、まだわかりません。

 

わからないからこそ、

 

私はまた、

 

夢の時計を自分の手で、

 

カチッと1ミリ、

 

動かしてみたいと思います。







魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy


 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション



前回、マヤ暦について調べたことから、

 

「巡ってくるものと、一度きりの今が同時に存在している」

 

ということについて考えました。

 

季節は巡ります。

 

朝が来て、夜が来て、また朝が来る。

 

カレンダーも毎年、新しいものに変わります。

 

だから私たちは、なんとなく「明日も今日の続きがある」と感じながら暮らしています。

 

時計を見れば時間が過ぎていることはわかります。

 

でも、目の前の景色は昨日とそれほど変わりません。

 

いつもの部屋があって、いつもの道があって、車が走り、鳥が鳴いている。

 

自分自身も、昨日とそれほど変わっていないように感じます。

 

だから不思議なことに、

 

時間は確実に流れているのに、目の前の現実だけを見ていると、まるで時間が止まっているように感じることがあります。

 

そして、もしかするとその感覚が、

 

「まだ大丈夫」

「いつかできる」

「夢は待っていてくれる」

 

という感覚にもつながっているのかもしれません。

 

でも、今日という日は今日しかありません。

 

だからといって私は、

 

「人生には限りがあるんだから、今すぐやらなきゃ!」

 

と自分を追い立てたいわけではありません。

 

むしろ、それとは反対です。

 

 

 

 

 

 

夢に向かって、今日1ミリだけ動いてみる


 

夢を叶えたいと思ったとき、

 

ものすごい情熱が必要だと思ってしまうことがあります。

 

毎日頑張らなければいけない。

 

強い意志を持たなければいけない。

 

人生を変えるほどの大きな行動を起こさなければいけない。

 

でも、本当にそうなのでしょうか。

 

私は最近、

 

「今日、夢に向かって1ミリだけ動いてみる」

 

ということを意識しています。

 

1ミリだったら、それほど難しくありません。

 

発信したいことがあるなら、ほんの少し文章を書いてみる。

 

学びたいことがあるなら、少しだけ本を開いてみる。

 

試してみたいことがあるなら、一つだけ試してみる。

 

調べたいことがあるなら、一つだけ調べてみる。

 

それくらいなら、情熱の炎をものすごく燃やさなくてもできます。

 

場合によっては、淡々とした作業としてできることだってあります。

 

でも、それでも確実に、

 

昨日より1ミリ、夢の方向へ進んでいます。

 

 

 

 

 

 

1ミリのつもりが、10ミリになることがある



そして、これは私自身が実際にやってみて面白かったことなのですが、

 

「1ミリだけ動こう」

 

と思って始めたのに、気づいたら1ミリでは終わっていないことがあります。

 

10ミリ。

 

15ミリ。

 

あるいは、それ以上。

 

最初から10ミリ進もうとしたわけではありません。

 

「今日は1ミリでいい」

 

と思って始めただけなのです。

 

ところが、やってみたら意外と楽しかった。

 

もう少しやってみたくなった。

 

それで自然に続けていたら、結果としてずいぶん先まで進んでいた。

 

そんなことが、私自身の実験の中で実際にありました。

 

ここで大事なのは、

 

「だったら最初から10ミリやればいい」

 

ではないということです。

 

最初から10ミリをノルマにしてしまったら、まったく違うものになってしまいます。

 

1ミリだから、始められた。

 

1ミリだから、気軽だった。

 

そして始めてみたら、もう少しやりたくなった。

 

この順番が大切なのだと思っています。

 

 

 

 

 

 

夢に向かう時計は「手動」


 

普通の時計は、私が何もしなくても進んでいきます。

 

今日も時間は過ぎていきます。

 

明日もやってきます。

 

でも、

 

「自分の夢に向かって進む時計」

 

は、少し違うように思います。

 

こちらは、自動ではなく手動です。

 

自分が1ミリ動かしたら、1ミリ進む。

 

何か一つ発信したら、その分だけ進む。

 

一つ試してみたら、その分だけ今まで知らなかったことがわかる。

 

誰かに自分の存在を知ってほしいのであれば、何かを発信しなければ、その人には私が存在していることさえ伝わりません。

 

頭の中でどれほど考えていても、現実の世界では何も起きていないことがあります。

 

だから、ほんの少しだけ現実の中で手を動かしてみる。

 

すると、止まっていた夢の時計の針が、

 

カチッ。

 

と1ミリ進みます。

 

それだけでいい。

 

私はそんなふうに考えています。

 

 

 

 

 

 

でも、無理に時計を進めない


 

そしてもう一つ、私がとても大切だと思っていることがあります。

 

それは、

 

「進められるからといって、無理に進めない」

 

ということです。

 

夢を叶えたいからといって、毎日限界まで頑張る必要はありません。

 

むしろ私は、無理をするとその反動が来ることがあると思っています。

 

今日は頑張った。

 

でも頑張りすぎてしまった。

 

すると次に同じことをやろうとしたとき、

 

「ああ、またあれをやるのか……」

 

と嫌になってしまう。

 

それでは、せっかく好きだったものまで嫌になってしまうかもしれません。

 

だから私は、

 

「まだできるかどうか」

 

ではなく、

 

「まだやりたいかどうか」

 

を大切にしたいと思っています。

 

楽しいと思えるところまで。

 

やってみたいと思えるところまで。

 

そして、

 

「あ、ちょっと飽きたな」

 

と思ったら、そこでやめる。

 

中途半端でもいい。

 

切りのいいところまで終わらせなくてもいい。

 

またやりたくなったときに、続きをすればいい。

 

夢への道を、苦しい道にしない。

 

これは私にとって、とても大切なことです。

 

 

 

 

 

 

今日の1ミリは、自分で選べる


 

時間そのものを止めることはできません。

 

今日という日は過ぎていきます。

 

でも、その今日の中で、

 

「私は何をしてみたい?」

 

と自分に尋ねることはできます。

 

何もしないで休みたい日なら、休んでもいい。

 

今日は夢に向かって何かしてみたいと思ったなら、1ミリだけ動いてみてもいい。

 

そして1ミリ動いてみて楽しくなったら、そのまま2ミリ、3ミリと進んでもいい。

 

そこには上限もノルマもありません。

 

反対に、

 

「今日はここまで」

 

と思ったら、そこで止めてもいい。

 

夢に向かう時計は手動だからこそ、自分で動かすことができる。

 

そして、自分で止めることもできる。

 

私はそのくらい自由なものとして、夢と付き合っていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

一度きりの今日だから


 

以前の私は、

 

「夢を叶えるためには、もっと強い情熱が必要なのかな」

 

と思うことがありました。

 

自分のお尻に火をつけなければいけない。

 

心の中に情熱の炎を燃やさなければいけない。

 

でも、火をつけようとしても、燃料がわからない。

 

そんなこともありました。

 

今は少し違います。

 

ものすごい炎を燃やさなくても、

 

「今日はこれをちょっとやってみようかな」

 

という小さな気持ちがあればいい。

 

1ミリ動いたら、昨日とは違う場所にいます。

 

そして、ときにはその1ミリが、思いがけず10ミリ、15ミリになっていく。

 

マヤ暦のことを知ったことから、

 

私は改めて「今日」という時間について考えるようになりました。

 

巡ってくるものはある。

 

でも、今日という組み合わせの時間は一度しかありません。

 

だから私は、

 

「時間がないから急がなきゃ」

 

ではなく、

 

「一度きりの今日、私は何をしてみたい?」

 

と自分に聞いてみたい。

 

夢は、私を追い立てるものではなく、

 

今日の私が1ミリずつ近づいていけるもの。

 

そしてその1ミリの積み重ねの先で、

 

いつの間にか、今まで見たことのなかった景色を見ているのかもしれません。

 

今日も夢に向かう時計を、

 

ほんの1ミリだけ、

 

自分の手で動かしてみようと思います。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

現実を動かす再現性の高いヒーリングセッション

 幸せの魔法使い☆まみ 

性を通して本来の自分に還る

心・身体・性を整え、人生を再構築する

電話番号:08053094890

営業時間:10:00~17:00

所在地 : 山形県北村山郡大石田町大字大石田乙690-1  サロン情報はこちら