こんにちは。
このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。
ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。
私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。
このブログでは、
自己信頼や内なる叡智を思い出すこと
自分らしい生き方を育む気づき
夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント
などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。
ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。
さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。

損したくないと思っているけれど
人って、
「損したくない」という氣持ちを
強く持っているように感じます。
わたし自身も、
そう感じることがあります。
でも最近、
それって本当に
“自分自身の氣持ち”なのかな?
と思うようになりました。
子どもの頃から、
「失敗しないように」
「ちゃんとやりなさい」
「チャンスは一回しかない」
「損しないように」
そんなふうに
教えられてきた人も
多いのではないでしょうか。
すると、
失敗=悪いこと
損をする=良くないこと
そんな感覚が
自然と心の中に
入っていくのかもしれません。
だから人は、
なんとか損失を回避しようとする。
サンクコストも、
そのひとつなのだと思います。
けれど、
よく考えてみると、
人生の最後に、
「あなたは得した量が多かったので賞をあげます」
とか、
「損した量が多かったのでペナルティです」
そんなことって、
別に無いんですよね。
損したか、得したか。
それって実は、
人生全体で見た時には
わからないものなのかもしれません。
一見「損」に見えた出来事が、
あとから大切な経験になることもある。
逆に、
「得した」と思っていたことが、
自分を縛ることもある。
だから、
本当の意味での損得なんて、
簡単にはわからないんですよね。
そしてわたしは、
「損したくない」
という氣持ちの中には、
“他人の目線”も
含まれているのではないかと感じています。
損をしたら、
「あの人、失敗したね」
と思われそうで怖い。
逆に得をしたら、
少し誇らしくなったり、
誰かに話したくなったりする。
もちろん、
それが悪いわけではありません。
でも、
もしそこに
他人からどう見られるか
という氣持ちが強く入っているなら、
わたしたちは、
“自分の本音”よりも、
“周りからどう見えるか”
を基準に
選んでしまっていることも
あるのかもしれません。
だから最近は、
「損していないか?」
ではなく、
「わたしは本当はどうしたい?」
という感覚を、
大切にしたいと思っています。
人生は、
損得の点数を競うものではなくて、
どんな時間を過ごしたか、
どんな気持ちで生きたか、
そちらのほうが
ずっと大切なのかもしれません。
サンクコストを抱えていると、夢実現が難しくなる
これは、実際にあることだと感じています。
サンクコストとは、
「損失回避」の心理とも言われるもので、
時間やお金をかけた分、
「失敗だった」と認めたくなくて、
なんとか取り戻そうとしてしまうことです。
これは、現実が前に動きにくくなる原因のひとつでもあります。
なぜなら、
「元を取った」と納得できるまで、
そこに留まり続けてしまうからです。
これ、わたし自身も
よくやってしまいがちなことです。
はじめは、
「これ、やりたい」
「楽しそう」
「欲しい」
そんな氣持ちで始めます。
けれど、続けていくうちに、
「思っていたのと違った」
「つまらない」
「使いにくい」
そんな気持ちになることがあります。
そういう時に、
スッと次へ進めれば問題はないのですが、
「せっかくやったのに」
「高かったから」
「まだ新しいし」
そんな思いが湧いてきます。
そして、もう氣持ちはそこにないのに、
なんとか損を回収しようとしてしまうんですね。
楽しくもない。
本当はやりたくもない。
それなのに、渋々続けてしまう。
面白さがないから時間もかかるし、
進みも悪くなります。
眉をひそめながら過ごす時間が増えていく。
その時の「やる理由」は、
未来の自分のためではなく、
「元を取るため」になっています。
けれど、そうして頑張ったとしても、
大きな達成感があるわけではなく、
「やれやれ…」という気持ちになるだけだったりします。
そして、その間、
サンクコストにエネルギーを注いでいる分、
夢実現への道のりが
止まってしまうこともあります。
これは、本当にもったいないことだと思うんです。
損を取り戻そうとする時間を、
夢を叶えるために使えたなら、
充実感も、喜びも、
きっと圧倒的に違うはずだから。
それでも、
わかっているのに悔しくて、
繰り返してしまうことがある。
それもまた、人間なんですよね。
だからわたしは、
「これ、サンクコストかもしれないな」と感じた時、
損をしていることに意識を向けるのではなく、
できるだけ早く損切りをして、
夢実現へ意識を切り替えるようにしています。
それは、
「元を取ること」より、
「夢が叶うこと」のほうが、
わたしにとってずっと嬉しいからです。^^
魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy
現状を変えたいなら、まずはここから
どうにかしたい悩みのヒーリングセッション
「コミュニティには“空氣”がある」
日々生活している中で、
私たちは様々なグループやコミュニティに所属しています。
身近なもので言えば、
家族、友達、学校のクラス、部活動、習い事、趣味の集まりなど。
けれど、コミュニティというのは、
ただ人が集まっているだけではありません。
そこには、それぞれ独自の“空気”や“臨場感”があります。
臨場感というのは、
その世界をリアルに感じる感覚のこと。
その中に長く身を置いていると、
その世界の価値観やルールが、まるで絶対的なもののように感じられることがあります。
たとえ少し不自然なルールだったとしても、
その中にいると、それが普通に思えてしまうこともあります。
けれど、一歩離れて俯瞰してみると、
そのコミュニティ全体の雰囲気や、
暗黙のルール、人の動きなどが見えてきます。
そして時には、
そのコミュニティがこれからどこへ向かっていくのかまで、感じ取れることもあります。
もし、
「理想の人生を生きたい」
「夢を叶えたい」
そんな想いがあるのなら、
今自分が身を置いている環境が、
本当に自分の成長に合っているのかを、静かに観察してみることも大切なのかもしれません。人との繋がりは人生を豊かにしてくれる。
だからこそ、どんな世界に身を置くのかは、とても大切なのかもしれません。
そして、自分の人生の舵だけは、誰かに預けすぎないこと。
時々立ち止まり、自分自身の心で感じ、考え、選び直していく。
それが、本当に自分の人生を生きるということなのかもしれません。

感情を吐き出していい
「感情を全部吐き出しなさい」
これは、
わたしがとても辛かった時に
言われた言葉でした。
もう、だいぶ昔のことです。
ショックな出来事があり、
氣持ちも動転していて、
吐き出したい感情は
たくさんあるはずなのに、
結局、
自分が本当に伝えたかった言葉は、
うまく出てきませんでした。
だからこそ、
苦しさを長く引きずりました。
「誰も、わたしの氣持ちなんて
わかってくれない」
そんな孤独も感じていました。
現代に生きるわたしたちの多くは、
「我慢すること」
を美徳として教えられてきました。
だから、
自分の思いや感情を抑え込むこと、
忘れたふりをすることに、
慣れてしまっている人も多いのだと思います。
そのため、
感情を感じていても、
それを“言葉”に変換することが
上手にできないことがあります。
喉まで出かかっているのに、
言葉にならない。
そんな感覚です。
わたしは昔から、
どんなに短い時間でも、
一緒に過ごす人には
氣持ちよく過ごしてほしい、
そんな思いを持っていました。
だから、
相手にイヤなことを言われても、
その場の空氣を壊さないように、
にこやかに接していることが
多かったのです。
そして後から、
いつもの“反省会”が始まります。
時間が経ってから、
その時の出来事を思い返して、
「あの時、本当はこう言いたかった」
という言葉が、
あとから溢れてくるのでした。
「どうして、あの時に
言えなかったんだろう」
そうやって、
悔しくなったり、
自分を責めてしまったりすることもありました。
そして最後には、
「今さら言っても仕方ないよね…」
と、
モヤモヤした氣持ちだけが残る。
そんな経験を、
何度もしてきました。
子どもの頃、
自分の氣持ちや思ったことを伝えた時に、
大人の都合で、
「わがままを言わないで」
と言われた経験がある人も
多いのではないでしょうか。
その積み重ねによって、
自分の素直な感情そのものを、
“わがまま”だと思ってしまう。
そんなこともあるのだと思います。
わたしは、
本音や本心を大切にしています。
それでも、
咄嗟の場面では
言葉が出てこなくて、
あとから悔しい思いをすることがあります。
でも、
わたしたちの感情は、
決して無駄なものではありません。
ちゃんと自分を感じているからこそ、
感情は生まれるのです。
怒りも、
悲しみも、
苦しさも、
人間が生きるために
必要だから存在しているのだと、
わたしは思っています。
怒っているなら、
怒りを。
イライラしているなら、
イライラを。
相手にぶつけるのではなく、
“ちゃんと感じて、伝えること”。
それは、
とても大切なことです。
そしてそれは、
心の健全さを守ることにも
繋がっていると思います。
抑圧や我慢ばかりを続けていたら、
人は壊れてしまいます。
「怒るなんて大人げない」
そんなことはありません。
感情を押し殺し続けることの方が、
ずっと苦しいのです。
喜びは表現していい。
感謝も伝えていい。
なのに、
ネガティブな感情だけは
出してはいけないのでしょうか。
そんなふうに抑え続けていたら、
心も体も、
苦しくなってしまいます。
感情は、
どんなものであっても、
適切な方法で、
上手に外へ出してあげることが大切です。
それは、
自分を大切にすること。
そして、
自己信頼を育てることにも
繋がっていくのだと思います。
激動の現代では、
「一人でもやっていける」
という芯の強さが、
必要なのだと思います。
群れていないと
立ち上がれないようでは、
本当の意味では弱い。
もちろん、
無理に強がる必要はありません。
それはただ、
自己信頼が育っていれば、
「一人でも大丈夫」
と、自然に思えるようになる
ということ。
それは、
自分自身に深い信頼を
持てているからです。
もちろん、
一つの団体やグループの中で、
一人ひとりが
個性や得意分野を持ちながら
支え合っているのであれば、
それは「群れている」のではなく、
バランスの取れた
健やかなチームなのだと思います。
でも私は、
どんなチームに所属していても、
「一人でも立っていられる力」
は必要だと感じています。
だからこそ、
「一人でもやっていける」
という芯を持っている人は、
どんな環境にも柔軟に対応し、
自分らしく生きていけるのだと思います。
そして、
最も小さな団体は
「家族」です。
まずは、
大切なパートナーと自分自身で、
二人三脚で歩んでいけること。
そのためにも、
一人で立ち上がれる力を
育てていくことが
大切なのだと思っています。
この力を育てるためには、
丁寧に自分と向き合うこと、
そして、
ゆったりと安心できる環境や時間が必要です。
日々の暮らしの中で、
私たちは少しずつ、
「一人でも立ち上がれる自分」
を育てていくことができます。
安心安全な場所で、
理想の人生を生きるために。
まずは、
自己信頼を育てていきましょう。
大切な答えは、いつも自分の中にある
わたしは、そう確信しています。
けれど、心身の状態によっては
体が疲れていたり、心が弱っていたりして、
「この判断や選択は、本当に正しいのだろうか?」
そんなふうに心もとなく感じて、
思わず外に答えを求めてしまうこともある。
それもまた、人間なのだと思います。
わたし自身も、心身が弱っていた時、
自分が感じている感覚への信頼が揺らぎ、
外に答えを探そうとしたことがありました。
でも、そういう時ほど、
「早く答えを見つけなくては」と焦ってしまうものです。
だからわたしは、
一度深く呼吸をして、
自分の感覚へ意識を向けるようにしています。
そして、思い出すのです。
人はいつの間にか、
「失敗してはいけない」
「間違ってはいけない」
そんな思い込みを抱えていることがあります。
だから、切羽詰まった時ほど、
その感覚が強く浮かび上がってくることもあります。
でも、
失敗してもいいんです。
間違ってもいいんです。
何度でも、やり直せばいい。
たった一回に、すべてをかけなくていいんです。
わたしは、
“正しく生きようとしすぎないこと”が大切だと思っています。
本当に大事なのは、
自分がどう在りたいのか。
どう生きたいのか。
そこなのではないでしょうか。
孤独を感じる時。
理解してくれる人が周りにいないと感じる時。
そんな時ほど、
「自分は間違っているのかもしれない」
そうやって、自分を疑ってしまうことがあります。
でも、自分を信じる力――
自己信頼は、一朝一夕で再構築されるものではありません。
それは、あなたが生きていく土台となる部分にあるものだからです。
だからこそ、
じっくり、ゆっくりと、
心の中にいる“本音の自分”と対話を重ねながら、
少しずつ信頼を育てていくしかないのだと思います。
その過程では、
誰かにサポートしてもらいながら歩む時期もあるかもしれません。
そんな時は、ちゃんと頼っていい。
助けを求めることも、大切な力です。
そして、少しずつ自己信頼が育っていく中でも、
時にはまた心が揺れることがあります。
そんな時も、
人に頼りながら、
同時に少しずつ、
“自分で自分を信じる力”を育てていく。
その繰り返しなのだと思います。
自分にとっての本当の答えは、
いつも自分の中にあります。
そして、それを自然に信頼し、
人生の指針にできた時、
人はきっと、
心にも体にも、
安心や安全、そして希望を感じられるのだと思います。
もちろん、
何かあった時に誰かに助けを求めることは、悪いことではありません。
けれど、何か起こるたびに
いつも誰かだけを頼りにしていたとしたら、どうでしょうか。
その人の都合が合わず、そばにいなかった時、
あなたはどうしますか?
もちろん、待つという選択もあると思います。
でも、できるなら――
いつも一番近くにいる「自分自身」に頼れること。
それは、きっと
心をゆったりと安心させてくれる力になるのではないかなと、
わたしは思っています。
昨日の続きになる形になりますが、
「本当はこうしたい」
そうした思いがあるのに、
相手や物事に対して罪悪感を感じて、
自分の希望を選ばず、
遠慮してしまう。
もしかすると、それはもう
慣れっこになっていることかもしれません。
罪悪感を感じたあと、
「このままにしておくしかない…」
そんなふうに、自分を納得させる。
そして、
「また今回も、自分のことは我慢か…」
そんな残念さや苦しさを感じながらも、
つらいからこそ、
次の瞬間には忘れようとするんですね。
一見、すっきりしたように見えても、
本当はずっと、
心のどこかでそのことが氣になっている。
だから、その氣持ちを抱えたまま、
ずっと過ごしているんです。
これは、そうした感覚に
少しずつ麻痺してしまっている状態なのかもしれません。
実は、わたしも
そうした先延ばしをよくしていました。
だから毎日、
どこか爽やかじゃない。
重たいものが、
ドロッとのしかかっているような感覚でした。
でも、その感覚にも慣れているから、
「日常って、こんなもの」
そう思ってしまっていることもあるんですね。
だから一度、
少しだけ想像してみてほしいのです。
もしそれが、
もう関係ない生活になっていたとしたら。
どんな感覚になりますか?
もし少しでも、
ホッとする感覚があったのなら、
その感覚の選択こそが、
あなたにとっての答えなのかもしれません。
そしてそれは、
あなたの理想の人生へつながっていく
選択でもあると思うのです。
わたしにも、こんな経験がありました。
以前、チーズフォンデュのセットを購入したことがありました。
その頃、チーズフォンデュが好きで、
家でも食べたかったんですね。
陶器のお鍋に、
ステンレスの台座。
液体アルコールを使うコンロのセットでした。
でも、使っていくうちに
焦げが取れなくなり、
いつしか使わなくなっていました。
それでも、
「せっかく買ったし…」
「捨てるのももったいないし…」
そう思って、ずっと持っていたんですね。
見るたびに、一瞬ときめく。
でも次の瞬間、
「使えないんだった…」
「何とかしなくちゃ…」
と、氣が重くなる。
ある時、模様替えをしていた時に、
その陶器鍋をうっかり落として割ってしまいました。
一瞬ショックでした。
でも同時に、
ホッとしたことを覚えています。
まるで、ずっと抱えていた重たいものが
ひとつ消えたように、
気持ちがパッと軽くなったんですね。
あなたは今、
何かに対しての罪悪感や申し訳なさを、
感じ続けることに
慣れてしまっていませんか?
わたしたち日本人は、
自分のことだけではなく、
相手のことを思いやる優しい心を持つ民族であり、
そうした在り方を、道徳などを通して学んできました。
こうした考え方には、素晴らしい長所がたくさんあります。
しかしその反面、短所となる部分もあります。
それは、
受け取ることや、
誰かのために行動することは得意でも、
「その場を卒業すること」
「そこから離れること」
が、とても苦手だということです。
それは、相手を思いやる優しい氣持ちでもあります。
自分だったらどう感じるだろう、と相手の立場に立って考えるからこそ、
申し訳なさや、罪悪感を感じてしまうのです。
実は、わたし自身もそうしたことが苦手です。
でも、最近思うんですね。
遠慮をしたり、氣を遣ったりして、
自分の氣持ちを後回しにすることは、
自分の人生や夢を、
自ら無碍にしてしまっていることでもあるのではないか、と。
また、人は、
「相手はきっとこう感じるだろう」
と考えますが、
本当のところはわからないものです。
そして最近、もうひとつ感じることがあります。
わたしたちはよく、
人や物事に対して罪悪感を抱くことがあります。
けれど実は、その“罪悪感”の本当の対象は、
自分自身なのではないかと思うのです。
本当は、こうしたい。
でも、言えない。
できない。
そうして、自分の思いや氣持ちを、
いつも後回しにしてしまっている。
自分の本音を汲み取らず、
叶えてあげていない。
だからこそ、心の奥底では、
自分自身に対して罪悪感を感じているのかもしれません。
けれど、実際に出来事が起こる時、
意識は外側に向いています。
そのため自然と、
外の人や物事に対して罪悪感を感じているように錯覚してしまうのです。
話を戻しますが、
わたしたちはもっと、
自分の人生や、人生の時間を大切に扱っていいのだと思います。
人への優しさや思いやりは、
本当に素晴らしいものです。
でもそれは、
自分を犠牲にしてまで
続けなければいけないものではない。
わたしは、そう思うのです。
また、そこを離れることは、
その人を嫌いになったということでもありません。
実際、そうではないことの方が多いと思います。
自分の方向性が変わった。
新しくやりたいことが見つかった。
そうした変化が起こり、
人生の転換期を迎えて、前に進んでいく。
ただ、それだけのことなのです。
そして、そうした変化もまた、
それまでの出会いや交流があったからこそ生まれた、
ありがたい変化なのだと思います。
だから、これまでの場所を出る時は、
感謝の氣持ちを伝える。
それだけで、十分なのです。
もしあなたも今、
遠慮をして、前へ進めずにいるのなら、
ぜひ一度、考えてみてほしいのです。
あなたが本当に生きたい人生は、
どんな人生ですか?
恋愛について考えていて、
あることに氣づきました。
わたしは昔、
恋愛を、
“人生を決める絶対的なもの”
のように
捉えていたんですね。
だから、
告白して振られたら終わり。
そんなふうに感じていました。
まるで、
“生きるか死ぬか”
くらいの重みを、
一回の告白に乗せていたんです。
でも今振り返ると、
そこには、
恋愛の履き違い
のようなものも
あった氣がします。
もちろん、
振られたら氣まずくなることは
あるかもしれません。
傷つくこともあると思います。
ですが、
それで人生が終わるわけではないんですよね。
世の中には、
何度も告白して、
何度も振られて、
それでも最後に結ばれた人たちもいます。
地球全体で見たら、
そういう人は、
きっと数えきれないほどいると思うんです。
そう考えると、
一回の告白に、
命をかけるように、
人生をかけるように、
思わなくてもいいのかもしれません。
でも、
これはきっと、
今の自分だからこそ、
見える景色でもある氣がしています。
過去のわたしにとって恋愛は、
「選ばれるかどうか」
が、
とても大きな意味を持っていました。
だから、
振られることは、
“自分の価値を否定されること”
のように感じていたんですね。
でも本当は、
恋愛は、
人生の合否ではなく、
人と人との関わりの一つ。
好きという氣持ちも、
「この人と関わってみたい」
という、
もっと自由で自然なものなのかもしれません。
そう思えるようになってきた時、
恋愛に対して、
少しだけ、
怖さが減った氣がしました。
そして今は、
“選ばれること”
よりも、
“自分の氣持ちに正直でいられること”
のほうが、
大事なのかもしれないなと思っています。^^
恋愛について考えていて、
あることに氣づきました。
それは、
「相手から告白してきてほしい」
という氣持ちの奥には、
“好き”
だけではなく、
「自分は傷つきたくない」
という思いも
隠れているのかもしれない、
ということです。
わたし自身、
恋愛について考えていた時、
「相手から言ってほしい」
「相手から来てほしい」
という氣持ちが、
とても強くありました。
でも、
よく見てみると、
そこには、
“自分はリスクを負いたくない”
という氣持ちも
あったんですよね。
もちろん、
これは悪いことではありません。
人は誰でも、
傷つくことが怖いものです。
拒絶されたくない。
恥ずかしい思いをしたくない。
好きな人に否定されたくない。
だからこそ、
「相手から来てくれたら安心」
なんですね。
でも、
そこにはもう一つ、
別のものも含まれている氣がしました。
それは、
「自分の理想の形で愛されたい」
という思いです。
例えば、
相手から告白してほしい
相手から追いかけてほしい
自分は選ばれる側でいたい
そんな願いですね。
一見すると、
待っている側は、
控えめで、
謙虚に見えるかもしれません。
ですがその奥には、
「こう動いてほしい」
「こう愛してほしい」
という、
強い希望があることもあります。
つまり、
表面的には受け身でも、
内側では、
相手を自分の理想の流れに
動かしたいと思っている部分も
あるのかもしれません。
だから、
わたしはふと、
「あれ?
これって少しコントロールにも
近いのかもしれない」
と思ったんですね。
もちろん、
だから悪い、
という話ではありません。
むしろ、
それだけ人は、
安心したいし、
傷つきたくないし、
愛されたいんだと思います。
でも、
本当に人と向き合う時というのは、
“相手には相手の自由がある”
ということも、
受け入れていく必要があります。
相手には、
相手のタイミングがあり、
感じ方があり、
選択があります。
だからこそ恋愛は、
思い通りに進めるものではなく、
お互いが自由な存在として
関わっていくものなのかもしれません。
恋愛は、
理想のシチュエーションを
叶えてもらうことではなく、
「この人と関わりたい」
という氣持ちを、
少し勇氣を出して差し出していくこと
なのかもしれません。
そう考えると、
好きな人に氣持ちを伝えるというのは、
相手を動かすためではなく、
“自分自身の心に正直になること”
でもあるのかもしれませんね。^^
魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy
現状を変えたいなら、まずはここからhttps://siawasenomahoutukai-mami.online/contents_24.html
どうにかしたい悩みのヒーリングセッション幸せの魔法使い☆まみ
性を通して本来の自分に還る
心・身体・性を整え、人生を再構築する
電話番号:08053094890
営業時間:10:00~17:00
所在地 : 山形県北村山郡大石田町大字大石田乙690-1 サロン情報はこちら