浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾25日目 自分を知ること

私たちは、何かを得ようとするとき、
「もっと知ろう」
「もっと学ぼう」
「もっと情報を集めよう」
と考えることがあります。
本を読んだり、誰かの話を聞いたり、動画を見たり。
もちろん、何かを知ること、学ぶことはとても大切です。
知らなかった世界を知ることで、今まで考えたこともなかったことを考えられるようになることもあります。
でも最近、私はふと思いました。
入れることと、生まれることには、違う時間が必要なのかもしれない。
ということです。
本を見えないところに移したら、言葉が出てきた
今住んでいる家に引っ越してきた頃、私は寝室の見えるところにたくさんの本を置いていました。
私にとって本は大切なものです。
大好きな本だから、いつでも手に取れるようにしておきたい。
そんな気持ちで、自分のそばに置いていました。
ところが、その頃なぜか、ブログに書きたいことがあまり浮かばなくなりました。
何を書こう。
何について書こう。
考えても、なかなか出てこない。
そんな状態が1か月ちょっと続いていたと思います。
あるとき、ふと思いました。
「本を少し見えにくいところに移してみようかな」
そこで、同じ寝室のクローゼットへ本を移してみました。
捨てたわけでもありません。
別の部屋へ持っていったわけでもありません。
ただ、視界から外しただけです。
ところが、そのあと不思議と、
「これを書きたい」
「あれについても書きたい」
と、ブログで取り上げたいことがスラスラと出てくるようになりました。
本を見えなくしたことが直接の原因だったのかは分かりません。
でも私にとっては、とても印象に残っている体験でした。
情報は、多ければ多いほどいいわけではないのかもしれない
本があることは悪いことではありません。
本から得られるものはたくさんあります。
でも、情報というものは、
たくさんあれば、それだけ自分の中から何かが生まれやすくなる
とは限らないのかもしれません。
むしろ、外から入ってくるものが少なくなったときに初めて、自分の中にすでにあったものが見えてくることもある。
そんなことを思いました。
本を読めば、誰かが考えたことに触れることができます。
動画を見れば、誰かが作った世界に触れることができます。
SNSを見れば、次々と誰かの言葉や考えが入ってきます。
それらは私たちの世界を広げてくれます。
でも、それとは別に、
誰の言葉も入ってこない時間
も必要なのかもしれません。
入れる時間と、生まれる時間
何かを知るためには、入れる時間が必要です。
でも、自分の中から何かが生まれるためには、
何も入れない時間
も必要なのかもしれません。
入れる。
そして、いったん止める。
何も入れずに過ごす。
すると、それまでに見たもの、聞いたもの、経験したこと、感じたことが、自分の中で混ざり始める。
そしてあるとき、
「そういえば……」
「もしかすると……」
「こんなことをやってみたい」
というものが、ふっと出てくる。
それが、アイデアだったり、
ひらめきだったり、
想像だったり、
自分なりの考えだったりするのかもしれません。
そう考えると、
空白とは、何もない場所ではなく、何かが生まれるための場所なのかもしれない。
と思いました。
想像するためには、「まだない」が必要なのかもしれない
想像するということも、考えてみれば不思議です。
目の前にすべてが完成した状態で存在していたら、想像する必要はありません。
まだない。
まだ分からない。
まだ決まっていない。
だからこそ、
「こんなものがあったらいいな」
「こんなふうになったら面白いな」
「私はこうしてみたいな」
と、人は想像することができます。
何もないところに、心の中で何かを描いてみる。
そして、その中からアイデアが生まれる。
そう考えると、
「何もない」ということは、創造の始まりでもあるのかもしれません。
人生にも、空白が必要なのかもしれない
そして、このことを考えていたら、
これは本や情報だけではなく、人生にも同じことが言えるのではないかと思いました。
私たちは、空白ができると不安になることがあります。
予定がない。
やることがない。
次に何をするのか決まっていない。
目標がまだない。
これからどうなるのか分からない。
そんなとき、
「何かしなくちゃ」
「次を決めなくちゃ」
「この時間を無駄にしてはいけない」
と、急いで空白を埋めようとすることがあります。
でも、もしかすると、
その空白をすぐに埋めないからこそ、生まれてくるものもあるのではないでしょうか。
何も決めていないから、
「私は本当は何をしたいんだろう」
という問いが生まれる。
予定がないから、
「今日は何をしたい?」
と自分に聞くことができる。
誰かの答えを入れていないから、
「私はどう思う?」
という自分自身の声が聞こえてくる。
空白があるからこそ、自分の内側が動き始めることがあるのかもしれません。
空白は、「欠けている」ということではない
何もない状態を見ると、
「足りない」
と感じることがあります。
でも、
空白と不足は、同じではないのかもしれません。
何もないから、足りないとは限らない。
そこにはただ、
これから何かが生まれることのできる余地がある。
そう考えることもできます。
真っ白な紙に何も描かれていないからこそ、何を描くこともできるように。
予定のない一日だからこそ、その日の自分が選ぶことができるように。
何も決まっていない未来だからこそ、自分で作っていくことができるように。
空白の中で、自分から何が生まれるのか
最近私は、寝室にあった本を別の部屋へ移しました。
今度はさらに、寝室に残っている文字のあるものや時計なども減らしてみようと思っています。
できるだけ情報を少なくして、
心と体を休める部屋にしてみる。
そして、その空白の中で自分がどう感じるのかを、実際に体験してみたいと思っています。
何も変わらないかもしれません。
もっと落ち着くかもしれません。
新しいアイデアが生まれるかもしれません。
逆に、やっぱり何かを置きたいと思うかもしれません。
それは、やってみなければ分かりません。
だからこそ、楽しみです。
「何かを入れる」だけが、自分を育てることではない
学ぶことは大切です。
知ることも大切です。
誰かの言葉によって、自分では開けなかった扉が開くこともあります。
でも、
何かを入れることだけが、自分を育てることではないのかもしれません。
何も入れずに、
静かにして、
空白を作って、
その中から自分自身のものが生まれてくるのを待つ。
そんな時間も必要なのだと思います。
入れる時間と、生まれる時間には、違う時間が必要なのかもしれない。
たくさん知ったあとには、何も入れない時間を作ってみる。
たくさん考えたあとには、考えることさえ少しやめてみる。
そして空いたところから、
何が生まれてくるのかを見てみる。
空白は、
何もない場所ではなく、
まだ何にでもなれる場所。
もしかすると私たちは、その空白から、
新しいアイデアだけではなく、
次の自分や、
これからの生き方さえも、
少しずつ生み出しているのかもしれません。