まっさらな瞳

こんにちは。

このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。

 

ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。

 

私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。

 

このブログでは、

 

自己信頼や内なる叡智を思い出すこと

 

自分らしい生き方を育む気づき

 

夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント

 

などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。

 

ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。

 

さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。


「わあ、損した」

 

私たちは日常で、

こんな言葉をよく使います。

 

だから私は今まで、

「損した」というのも一つの感情のように捉えていました。

 

でも、よく考えてみたら、

 

「損した」って感情ではないのかもしれません。

 

その奥にある本当の気持ちは、

 

「残念だった」

「悔しかった」

「こっちが欲しかった」

 

なのかもしれない。

 

そんなことを考えていたら、

子どもの頃の駄菓子屋さんの「ひもつき飴」を思い出しました。

 

束になったひもの中から一本を選んで引っ張ると、

その先に飴がついている。

 

大きな飴もあれば、

小さないちご味の飴もあります。

 

一般的には、大きな飴を引いたら「当たり」。

小さな飴なら「外れ」なのかもしれません。

 

でも私は、

その小さないちご味の飴が一番好きでした。

 

だから私にとっては、

小さないちご飴こそ「当たり」。

 

大きな飴を引いたら、

 

「わあ、大きい!嬉しい!」

 

と思いながらも、

 

「いちご飴がよかったな」

 

と、ちょっと残念だったりする。

 

そう考えると、

「当たり」「外れ」も面白いものです。

 

誰かが決めた当たりと、

私にとっての当たりは違う。

 

そして私の場合は、

お金を払ってひもつき飴を引ける時点で、もう嬉しい。

 

ひもを選ぶ。

引っ張る。

何が出てくるんだろうとワクワクする。

 

その体験を受け取った時点で、

もう私にとっては「当たり」だったのだと思います。

 

もしかしたら私たちは、

 

「残念だった」

 

という気持ちまで、

 

「損した」

 

という評価に置き換えていることがあるのかもしれません。

 

だったら「損した」と思ったとき、

少しだけその言葉の奥を見てみる。

 

私は本当は、何を感じたんだろう?

 

残念だった?

悔しかった?

期待していた?

本当はこっちが欲しかった?

 

そうすると、

得か損かという採点ではなく、

自分自身の気持ちが見えてくる。

 

誰かが決めた「当たり」ではなく、

 

私にとっての「当たり」は何だろう?

 

人生でも、ときどきそんなふうに

自分に聞いてみてもいいのかもしれません。




魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

現状を変えたいなら、まずはここから



何かを学びたくて、

本や教材、講座を買ったとします。

 

お金を支払って、

欲しかった商品を受け取る。

 

まず、その交換はそこで成立しています。

 

そして、私はその先を

「支払ったお金を回収する時間」

と考えなくてもいいのではないかと思っています。

 

そこから始まるのは、私の体験です。

 

「面白そう。やってみたい」

 

実際に触れてみたら、

 

「やっぱり面白い。もっとやってみたい」

 

と思うかもしれない。

 

反対に、

 

「思っていたのと違った」

「これは私には合わないな」

 

と気づくかもしれません。

 

でも、それも一つの体験です。

 

自分には何が合っているのか。

何が好きなのか。

何には心が動かないのか。

 

実際に触れたからこそ、わかることがあります。

 

そして、自分に合うものなら、

そこからさらに学びや経験が広がっていく。

 

だから私は、買った後に

 

「元を取らなくちゃ」

 

と考えるより、

 

「私はこれに触れて、何を感じるんだろう?」

 

と考えてみたい。

 

合っていたことも、

合わなかったことも、

好きだったことも、

思っていたのと違ったことも、

 

全部、自分を知るための経験になる。

 

支払いと商品の交換は、そこでひと区切り。

 

その先に始まるのは、

損を取り戻すための時間ではなく、

 

私自身の新しい体験です。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

現状を変えたいなら、まずはここから



サンクコストについて考えていて、

私はもう一つ気づいたことがありました。

 

なぜ私たちは、

 

「元を取りたい」

「損したくない」

 

と思うのでしょう。

 

もちろん、お金が惜しいという気持ちもあると思います。

 

でも、その奥には時々、

 

「私は損をした人だと思いたくない」

 

という気持ちもあるのかもしれません。

 

「私の選択は間違っていなかった」

 

そう証明したくなる。

 

だから、本当はもうやりたくないのに続ける。

 

本当は別のことをしたいのに、

 

「ここまでやったんだから」

「元を取るまでは」

「もったいないから」

 

と、自分を引き止める。

 

「もったいない」という言葉が罪悪感を連れてきて、

本当はもう見えている次の道へ進むことを遅らせてしまうこともあります。

 

でも、損をしたとしても、

私自身が「×」になるわけではありません。

 

「あの選択は、今振り返ると私には合わなかったな」

 

それだけでもいい。

 

過去の選択を正解にするために、

今の自分を使い続けなくていい。

 

だから、

 

「元を取るにはどうしたらいい?」

 

ではなく、

 

「今の私は、本当はどうしたい?」

 

と聞いてみる。

 

もうやめたい。

違うことをしてみたい。

こっちへ行ってみたい。

 

そんな答えが出てきたなら、

私はその声を大切にしたい。

 

得した私にも、

損した私にもならなくていい。

 

私はただ、

今の私が望んでいる方向へ進んでいけばいい。

 

過去の選択を証明することより、

これからの人生をつくることに、

私の時間とエネルギーを使っていこう。




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現状を変えたいなら、まずはここから




私たちは日常の中で、

 

「得した」

「損した」

 

という言葉をよく使います。

 

お店でおまけをしてもらったら、

「得した!嬉しい」と思う。

 

500円で買ったものが、

別のお店では450円だったら、

 

「あ、損したかも」

 

と思う。

 

それ自体は自然なことだと思います。

 

でも私は最近、

この「得・損」という物差しについて考えるようになりました。

 

たとえば、欲しかった服が半額で買えたとき。

 

本来の喜びは、

 

「この服が好き」

「これを着たい」

「素敵なものに出会えた」

 

だったはず。

 

でもいつの間にか、

 

「半額で買えた」

「こんなに得した」

 

ということのほうが、喜びの中心になることがあります。

 

得した=いい選択。

損した=悪い選択。

 

得した=勝ち。

損した=負け。

 

そんなふうに、自分の選択まで採点してしまう。

 

でも、

 

500円で買ったものが翌日450円だったからといって、

昨日の私が間違っていたことになるわけではありません。

 

「こっちのお店のほうが安かったんだ」

 

それは、次の選択肢が一つ増えただけ。

 

だから私は、

 

「得か損かは、ちょっと横に置いておこう」

 

と思います。

 

そして、自分に聞いてみる。

 

「私は、どうしたい?」

 

得か損かという評価より、

自分の「好き」「やってみたい」「欲しい」に戻ってみる。

 

損得は、出来事を見る物差しの一つ。

 

自分自身につける点数ではないのだと思います。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

現状を変えたいなら、まずはここから


「もう本当はやりたくない」

 

「もう興味がなくなっている」

 

そう思っているのに、

 

「でも、高かったから」

「せっかく買ったから」

「ここまでやったから」

「もったいないから」

 

そんな理由で、やめられなくなることがあります。

 

これは「サンクコスト」と呼ばれるものにも関係しています。

 

すでに使ったお金や時間がもったいなくて、本当はもう違う方向へ進みたいのに、その場にとどまってしまう。

 

でも、過去に払ったお金は変えられなくても、

これから使う時間とエネルギーの行き先は変えることができます。

 

私はここが、とても大切だと思っています。

 

「元を取らなくちゃ」

「ここでやめたら、もったいない」

 

そう思ったとき、一度こんなふうに自分に聞いてみる。

 

「もし、これまでに何も払っていなかったとしたら、私は今日からこれをやりたい?」

 

答えが「もうやりたくない」なら、

もしかしたら心はもう次の方向を向いているのかもしれません。

 

過去の元を取るために、

これからの未来まで支払わなくていい。

 

これからの時間とエネルギーは、

これから望む人生のために使っていい。

 

手放すことは、負けることではありません。

 

過去に向いていた意識を、

「私はこれからどうしたい?」へ向け直すこと。

 

その瞬間から、

また新しい可能性の扉が開いていくのだと思います。





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前回、「自分の色を消さない」ということを書きました。

 

好きな人に好かれるために、

本当は好きではない服を着たり、

好きではない髪型にしたり、

好きではないものを選んだりする。

 

そこから考えていて、これは恋愛だけの話ではないなと思いました。

 

たとえば、

 

本当はAが好き。

 

でも、周りのみんなはBを選んでいる。

 

「私だけ違ったらどうしよう」

「変だと思われたら嫌だな」

 

そんな不安から、本当はAが好きなのにBを選ぶ。

 

もちろん、状況に合わせて自分とは違う選択をすることが必要なときもあると思います。

 

いつでも「自分の好きなようにする」ことだけが、自分を大切にすることではありません。

 

でも、それが人生のいろいろな場面で繰り返されていったらどうでしょう。

 

本当はこっちが好き。

でも、みんながあっちだから。

 

本当は嫌。

でも、嫌われたくないから。

 

本当はやりたくない。

でも、期待されているから。

 

本当はこうしたい。

でも、普通はこうするものだから。

 

そうやって一つひとつ選んでいくうちに、

 

自分の人生なのに、自分の感覚が意思決定に参加していない。

 

そんな状態になってしまうことがあるのではないかと思いました。

 

「自分を消す」というと、少し強い言葉に聞こえるかもしれません。

 

でも、自分の中にはちゃんと、

 

「私はこれが好き」

「私はこれは嫌」

「私はこうしたい」

「これはしたくない」

 

という感覚があるのに、それを毎回なかったことにしてしまったら、

 

自分の人生の中で、自分の声がだんだん小さくなってしまいます。

 

だから私は、

 

「自分の色を消さない」ということは、自分の人生にちゃんと自分を居させてあげることなのかもしれない

 

と思いました。

 

これは、いつでも自分の意見を押し通すということではありません。

 

人と生きていれば、譲ることもある。

相手に合わせることもある。

状況を考えて、第一希望ではないものを選ぶこともある。

 

でも、その前に、

 

「私は本当はどうしたい?」

 

と自分に聞いてあげる。

 

本当はAが好きだけど、今日は事情があるからBを選ぼう。

 

それなら、ちゃんとそこに「私」がいます。

 

Aが好きだった自分を消していないから。

 

そして、これが「自分とつながる」ということの一つなのかもしれません。

 

自分とつながるというと、何か特別なことのように聞こえることもあります。

 

でも実際には、

 

今日何を食べたい?

これは好き?

これは嫌?

今、疲れてる?

本当はどうしたい?

私はどう感じている?

 

そんな小さな自分の声に、自分自身が気づいてあげること。

 

そして、その声を必ず叶えてあげられなくても、

 

「そうなんだね。私はそう思っているんだね」

 

と、まず聞いてあげること。

 

それだけでも、自分との関係は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

 

恋愛でも、人間関係でも、仕事でも、日常の小さな選択でも。

 

周りの声だけで自分の人生を決めるのではなく、

 

そこにちゃんと、自分の声も参加させてあげる。

 

自分の色を消さない。

 

自分の声を置いていかない。

 

自分の人生に、ちゃんと自分を居させてあげる。

 

それが、自分と仲良くなっていくことの一つなのだと、私は思います。







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現状を変えたいなら、まずはここから



先ほど、「愛されるために自分を我慢しなくていい」ということを書きました。

 

そのことを考えていて、もうひとつ思ったことがあります。

 

たとえば、好きな人に好かれたくて、

 

本当は好きではない服を着る。

本当は好きではない髪型にする。

本当は好きではないメイクをする。

 

そして、その姿を彼が「素敵だな」と思ってくれたとします。

 

やがてお付き合いするようになって、誕生日や記念日が来たとき。

 

彼が一生懸命、

 

「これ、似合うと思って」

 

とプレゼントを選んでくれた。

 

でも、それが自分にとっては全然好みではない服やアクセサリーだったとしたら。

 

なんだか、とても切ないなと思ったんです。

 

彼は何も悪くない。

 

むしろ、私が喜ぶと思って、一生懸命考えて選んでくれたのかもしれません。

 

でも彼が見ていた「私」は、彼に好かれたくて作った私だった。

 

だから、彼がその私に似合うものを選んでくれたとしても、本当の私は心から喜べない。

 

そうなったら、彼にも申し訳ないし、私自身も苦しいと思うんです。

 

だから私は、好かれるために自分を作りたくない。

 

好きな服を着たい。

好きな髪型をしたい。

好きなメイクをしたい。

 

そして、そんな私を見てもらいたい。

 

もちろん、好きな人の影響を受けて、

 

「こんな服も着てみたい」

「今まで知らなかったけど、これも好きかも」

 

と世界が広がっていくことは、とても素敵なことだと思います。

 

でも、

 

「私は好きじゃないけれど、あなたに好かれるためにこうする」

 

とは、少し違う。

 

あなたに愛されるために、あなた好みの私になるのではなく、

 

私は私として、あなたの前にいたい。

 

そして、そんな私をあなたが好きになってくれたら嬉しい。

 

私も、あなたをあなたとして好きになりたい。

 

誰かを好きになることで、自分の色を消すのではなく、

 

あなたと出会ったことで、私の世界に新しい色が増えていく。

 

私は、そんな恋愛がいいなと思います。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから


昔、恋愛のテクニックとして、

 

「好きと言わない」

「会いたいと言わない」

「連絡は短くする」

「すぐに誘いに応じない」

 

そんな方法を知ったことがありました。

 

理由は、男性は「自分のものになった」と安心すると、追いかけなくなってしまうから。

 

だから、すべてを見せない。

簡単には手に入らない女性でいる。

男性から追いかけてもらえる女性になる。

 

当時の私は、それを知って、

 

「こんなことができる女性になったら、幸せな恋愛ができるのかな」

 

と思ったことがありました。

 

 

 

自分を大切にすること。

体調が悪いときには無理して会わないこと。

自分を大切にしてくれない人に、いつまでも時間や労力を注がないこと。

 

これは今でも「素敵だな」と思うところもあります。

 

 

 

でも、久しぶりにこの考え方を思い出してみて、今の私は少し違うことを感じました。

 

私は、好きだと思ったら「好き」と伝えたい。

 

会いたいと思ったら、「会いたい」と言いたい。

 

嫌だと思ったら、「それは嫌だ」と伝えたい。

 

嬉しかったら、思いきり喜びたい。

 

もちろん、いつでも全部を伝えなければいけないわけではありません。

 

言いたくないときは、言わなくていい。

 

一人でいたいときは、一人でいていい。

 

 

 

 

大切なのは、

 

「私は、本当はどうしたいんだろう?」

 

ということなのだと思います。

 

 

 

たとえば、もともとLINEが苦手で、短い文章の方が心地いい人もいます。

 

一人の時間が好きで、恋人と頻繁に会わなくても寂しくない人もいます。

 

「好き」という言葉をあまり使わなくても、まったく我慢していない人もいるでしょう。

 

上品できれいめな服装が、本当に自分の好みという人もいます。

 

その人にとって、それが自然なのであれば、何も問題はありません。

 

恋愛テクニックとして紹介されている方法と同じ行動をしていたとしても、それがその人の自然体なら、その人に合った恋愛の仕方なのだと思います。

 

 

 

 

でも、

 

本当は長いメッセージを送りたいのに、短くする。

 

本当は会いたいのに、追わせるために会わない。

 

本当は好きと伝えたいのに、相手が安心してしまわないように言わない。

 

本当は着たい服があるのに、男性から好かれるために違う服を着る。

 

 

 

 

そうなったとき、私は少し立ち止まりたくなります。

 

「私は誰のために、自分を変えようとしているんだろう?」

 

愛されるために自分を大切にすることと、

自分が自分を大切にしたいから、自分を大切にすること。

 

似ているようで、私には少し違って見えます。

 

 

 

そして、

 

「男性はこういうものだから」

「こうすると男性は追いかけてくるから」

 

という考えを基準にすると、目の前の相手ではなく、「男性とはこういうもの」という頭の中の男性像に、自分の行動を合わせることにもなります。

 

 

 

でも、目の前にいる人は、その人自身です。

 

好きと言ってもらうことが嬉しい人かもしれない。

 

相手からも「会いたい」と言ってほしい人かもしれない。

 

たまには相手からデートに誘ってもらいたい人かもしれない。

 

 

 

だから私は、「男性とはこういうもの」というルールより、

 

私はどう感じている?

あなたはどう感じている?

 

その二つを持ち寄って、二人の関係を知っていきたい。

 

恋愛は、誰かを自分に夢中にさせるためのテクニックではなく、

 

二人の間に生まれるものを、一緒に育てていくこと。

 

少なくとも、私はそんな恋愛がしたいと思っています。

 

 

 

好きなら、好きと言える。

 

会いたいなら、会いたいと言える。

 

嫌なら、嫌と言える。

 

今日は会いたくないなら、それも言える。

 

そして相手にも、同じ自由がある。

 

 

 

どちらかが相手を追わせるのでも、

どちらかが相手を追い続けるのでもなく、

 

私からあなたへ。

あなたから私へ。

 

それぞれの自然な気持ちが行き来する。

 

 

 

私は、そんな「循環する関係」が好きなのだと思います。

 

 

 

 

恋愛の方法を知ることよりも、

 

その方法を使っている自分に、

 

「私は今、心地いい?」

 

と聞いてみる。

 

 

 

そこで「うん、これが私」と思えるなら、その方法はきっと自分に合っている。

 

でも、もし苦しくて、

本当の気持ちを飲み込んでいて、

「愛されるためだから」と自分に言い聞かせているのなら、

 

その方法を手放してもいい。

 

 

 

愛される方法に自分を合わせるのではなく、

 

自分でいられる関係を育てていく。

 

今の私は、そちらを選びたいと思っています。






改めてやっぱり私は、「男性に好かれるために、女子アナウンサーのような服を着る」

私はこれが一番できないかもしれません。


だって、その服が私の好みじゃなかったら、私は自分のお金を払ってまで買いたいと思わないから。


自分のお金で服を買うなら、私は「これが好き」「これを着たい」と思うものにお金を使いたい。


もちろん、普段とは違う服を着てみて「こんな私も新鮮で楽しい」と思うなら、それも素敵。


でも、「男性からこう見られたいから」という理由だけで、自分が好きでもないものを選ぶことは、今の私には合わないかな。

服一枚でも、「私は何が好き?」を大切にしたい。^^







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思考・感情は、願いのオーダーではありません


 

スピリチュアルや引き寄せの法則では、

 

「考えたことが宇宙にオーダーされる」

「ネガティブな感情でいると、ネガティブな出来事を引き寄せる」

 

といった表現を耳にすることがあります。

 

でも私は、思考・感情と、願い・意図は別物だと考えています。

 

思考は、自然に頭に浮かんでくるもの。

 

感情も、出来事に触れたときに自然に湧き上がってくるもの。

 

「失敗したらどうしよう」

「あの人大丈夫かな」

「悲しいな」

「腹が立つな」

「怖いな」

 

人間として生きていれば、いろいろなことを考え、いろいろな感情を感じます。

 

それは、人間に備わっている自然な心の働きです。

 

だから、ふとネガティブなことを考えたからといって、それが自分の「願い」になるわけではありません。

 

悲しみや不安、怒りを感じたからといって、それを自分が望んでいるわけでもありません。

 

もし「考えたこと、感じたことがすぐ宇宙にオーダーされる」と思ってしまったら、

 

「こんなこと考えちゃダメ」

「ネガティブな気持ちになっちゃダメ」

 

と、自分の心を監視するようになってしまいます。

 

それって、とても窮屈ではないでしょうか。

 

だから私は、思考や感情を怖がらなくていいと思っています。

 

「あ、今私はこんなことを考えているんだな」

 

「今、悲しいんだな」

 

「今、イライラしているんだな」

 

まずは、そうやって自分に気づいてあげる。

 

無理に消そうとしたり、ポジティブに変えたりしなくてもいい。

 

そして、願いや意図はそのあとで、

 

「私はどうしたい?」

「私はどんな方向へ進みたい?」

 

と、自分で選んでいけばいいのです。

 

思考や感情は、自然に湧いてくるもの。

 

願いや意図は、自分で選んでいくもの。

 

だから、何を考えても大丈夫。

何を感じても大丈夫。

 

自分の心を怖がらずに、まずは今の自分に気づいてあげてください。




思考や感情は、排除するものではなく、人間に備わった働きです。

だから、自分の中に浮かんだものを危険物のように扱わなくてもいい。

考えること、感じることと、それを願うことは別です。

そして、何を感じていても、その先で「私はどうしたい?」を自分で選ぶことができます。





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何かを見つけたとき、

 

「これ、面白そう」

 

「ちょっとやってみたい」

 

「なんだか気になる」

 

そんなふうに、心が動くことがあります。

 

でも、その直後に、

 

「私にできるかな?」

 

という言葉が出てくることもあります。

 

できるかな。

 

続けられるかな。

 

向いているかな。

 

失敗しないかな。

 

せっかく始めても、また途中でやめるんじゃないかな。

 

そうやって考えているうちに、

 

最初にあった小さな

 

「やってみたい」

 

が、だんだん小さくなってしまう。

 

でも最近、私は思います。

 

最初から、

 

「できるかな?」

 

と考えなくてもいいんじゃないかな、と。

 

 

 

 

 

 

できないから、習うんじゃない?


 

そもそも習い事って、

 

「できないから習う」

 

ものでもあります。

 

最初からできるのなら、習う必要がないことだってあります。

 

できない。

 

知らない。

 

やったことがない。

 

だから、

 

「ちょっとやってみたい」

 

と思う。

 

それなのに、始める前から

 

「ちゃんとできるかな?」

 

と自分に求めるのって、なんだか不思議です。

 

まだやったことがないのだから、

 

できるかどうかなんて、わからなくて当然です。

 

だったら、

 

「できるかな?」

 

ではなく、

 

「やってみた私は、どう感じるんだろう?」

 

くらいでもいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

人生を、もう少し実験にしてみる


 

「始める」と考えると、少し重たく感じることがあります。

 

これからずっと続けるような感じがしたり、

 

上手にならなければいけないような気がしたり、

 

何か成果を出さなければいけないように感じたり。

 

でも、

 

「ちょっと実験してみよう」

 

だったらどうでしょう。

 

一度、体験してみる。

 

ちょっと触ってみる。

 

少し勉強してみる。

 

やってみて、

 

自分がどう感じるのか観察してみる。

 

面白かったら、もう少しやってみる。

 

もっと知りたくなったら、続けてみる。

 

「なんか違うな」と思ったら、そこで終わってもいい。

 

実験なのだから、

 

最初から答えがわかっている必要はありません。

 

むしろ、

 

わからないから、やってみる。

 

それでいいのだと思います。

 

 

 

 

 

 

「続けるかどうか」は、やってみた私に任せる


 

始める前の自分には、

 

その先のことなんてわかりません。

 

一度やっただけで夢中になるかもしれない。

 

半年くらい楽しんで満足するかもしれない。

 

10年続くものになるかもしれない。

 

一度やって、

 

「あ、これは違った」

 

と思うかもしれない。

 

どれになるかは、

 

実際に体験してみなければわかりません。

 

だから、

 

未来の自分に

 

「ちゃんと続けられる?」

 

と保証を求めなくてもいい。

 

今の私は、

 

「やってみたい」

 

と思っている。

 

だったら、まずはやってみる。

 

続けるかどうかは、

 

実際にやってみた私に決めてもらえばいい。

 

私は、それくらいでもいいと思っています。

 

 

 

 

 

 

やってみると、「私」が少しずつわかってくる


 

そして、実際にいろいろなものを体験してみると、

 

自分について、いろいろなことがわかってきます。

 

「私は、こういうものが好きなんだ」

 

「これはあまり好きじゃないんだ」

 

「これは苦手だけど、なぜか面白い」

 

「これは得意だけど、別に好きではない」

 

「全然できなかったけど、もう一度やりたい」

 

「できたけど、もう十分」

 

そんな発見が出てくる。

 

これって全部、

 

自分を知ること

 

なんですよね。

 

頭の中で、

 

「私は何が好きなんだろう?」

 

と考えることもできます。

 

でも、実際に触れてみなければわからない自分もいます。

 

食べたことのない料理の味を、頭の中だけでは知れないように。

 

行ったことのない場所で、自分が何を感じるのかわからないように。

 

やったことのないことを、

 

「私は好きだ」

 

とも、

 

「私は嫌いだ」

 

とも、

 

本当のところはまだわからない。

 

世界に触れてみて、

 

初めて出会える自分がいます。

 

 

 

 

 

 

「できなかった」も、自分を知るための情報


 

そして、ここで大切にしたいことがあります。

 

やってみた結果、

 

できなかった。

 

うまくいかなかった。

 

思っていたより苦手だった。

 

それでもいい。

 

それは、

 

「やってみた結果、今回はこうだった」

 

という情報だからです。

 

反対に、

 

思ったより簡単にできた。

 

すごく楽しかった。

 

もっとやりたくなった。

 

それも情報です。

 

できた。

 

できなかった。

 

好きだった。

 

好きじゃなかった。

 

面白かった。

 

つまらなかった。

 

続けたい。

 

もう十分。

 

一つ一つ体験するたびに、

 

「私はこう感じる人なんだ」

 

ということが少しずつわかってくる。

 

だから、どんな結果になっても、

 

やってみる前には知らなかった「私」を一つ知ることができます。

 

 

 

 

 

 

でも、その結果は「私そのもの」ではない


 

そして、ここで私はとても大切にしたいことがあります。

 

やったことの結果と、私自身をくっつけないこと。

 

できた。

 

だから、私は○。

 

できなかった。

 

だから、私は×。

 

ではありません。

 

できたのなら、

 

「私は今回、これができた」

 

ただ、それだけ。

 

できなかったのなら、

 

「私は今回、これはできなかった」

 

ただ、それだけ。

 

好きだったなら、

 

「私はこれが好きなんだ」

 

好きじゃなかったなら、

 

「私はこれは好きじゃないんだ」

 

それだけです。

 

そこから、

 

「だから私は優秀な人間」

 

「だから私はダメな人間」

 

と、

 

私そのものを評価しなくてもいい。

 

 

 

 

 

 

私は、評価の壇上には立たない


 

結果には、評価がつくことがあります。

 

試験なら点数がつく。

 

競技なら順位がつく。

 

仕事なら成果が出る。

 

できた、できなかったという結果もあります。

 

でも、

 

それは私そのものではありません。

 

結果について、

 

「今回はうまくいった」

 

「今回はうまくいかなかった」

 

と振り返ることはできる。

 

そこから、

 

「次はこうしてみよう」

 

と考えることもできる。

 

でも私は、

 

その結果と一緒に、

 

自分自身まで評価の壇上に上げなくてもいいと思っています。

 

私は私。

 

結果が○だったから、

 

私が○になるわけではない。

 

結果が×だったから、

 

私が×になるわけでもない。

 

私は、評価の壇上には立たない。

 

 

 

 

 

 

実験なら、「失敗」ではなく「結果」が残る


 

そう考えると、

 

人生を少し「実験」のように捉えることができます。

 

実験なら、

 

予想通りにならなかったからといって、

 

実験そのものが無意味になるわけではありません。

 

「こうやったら、こうなった」

 

という結果が残ります。

 

人生でも、

 

「やってみたら、私には合わなかった」

 

「やってみたら、思っていた以上に好きだった」

 

「一度やったら満足した」

 

「もっとやりたくなった」

 

それでいい。

 

成功した私。

 

失敗した私。

 

ではなく、

 

体験した私。

 

そして、

 

その体験から、

 

自分について一つ知った私。

 

 

 

 

 

 

「やってみたい」は、自分と出会う入口なのかもしれない


 

「面白そう」

 

「ちょっと気になる」

 

「やってみたい」

 

そんな小さな気持ちは、

 

単なる気まぐれに見えることもあります。

 

でも私は、

 

そこから新しい自分に出会うこともあると思っています。

 

やってみなければ、

 

自分がそれを大好きになることも知らないままだったかもしれない。

 

自分に意外な才能があることにも気づかなかったかもしれない。

 

反対に、

 

「これは私には必要ない」

 

ということにも気づかなかったかもしれない。

 

どちらも、

 

自分を知ることです。

 

だから、

 

「できるかな?」

 

と思ったら、

 

少しだけ問いを変えてみる。

 

「やってみた私は、どう感じるんだろう?」

 

わからない。

 

だから、やってみる。

 

やってみて、

 

自分の心に聞いてみる。

 

楽しい?

 

面白い?

 

もっとやりたい?

 

もう十分?

 

違うものが気になる?

 

そして、

 

その答えを聞きながら、

 

また次を選んでいく。

 

興味を持つ。

やってみる。

感じる。

自分を知る。

そして、また選ぶ。

 

人生を、もう少し実験にしてみる。

 

うまくいく自分を証明するためではなく、

 

まだ知らない自分と出会うために。

 

そして、どんな結果が出ても、

 

最後に戻ってくる場所は同じ。

 

私は私。

 

できても、私。

 

できなくても、私。

 

続いても、私。

 

続かなくても、私。

 

結果には○や×がつくことがあっても、

 

私自身には、○も×もつかない。

 

だから安心して、

 

もう少し世界を試してみてもいいのだと思います。






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