浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾79日目 「損した」は、感情じゃないのかもしれない

「わあ、損した」
私たちは日常で、
こんな言葉をよく使います。
だから私は今まで、
「損した」というのも一つの感情のように捉えていました。
でも、よく考えてみたら、
「損した」って感情ではないのかもしれません。
その奥にある本当の気持ちは、
「残念だった」
「悔しかった」
「こっちが欲しかった」
なのかもしれない。
そんなことを考えていたら、
子どもの頃の駄菓子屋さんの「ひもつき飴」を思い出しました。
束になったひもの中から一本を選んで引っ張ると、
その先に飴がついている。
大きな飴もあれば、
小さないちご味の飴もあります。
一般的には、大きな飴を引いたら「当たり」。
小さな飴なら「外れ」なのかもしれません。
でも私は、
その小さないちご味の飴が一番好きでした。
だから私にとっては、
小さないちご飴こそ「当たり」。
大きな飴を引いたら、
「わあ、大きい!嬉しい!」
と思いながらも、
「いちご飴がよかったな」
と、ちょっと残念だったりする。
そう考えると、
「当たり」「外れ」も面白いものです。
誰かが決めた当たりと、
私にとっての当たりは違う。
そして私の場合は、
お金を払ってひもつき飴を引ける時点で、もう嬉しい。
ひもを選ぶ。
引っ張る。
何が出てくるんだろうとワクワクする。
その体験を受け取った時点で、
もう私にとっては「当たり」だったのだと思います。
もしかしたら私たちは、
「残念だった」
という気持ちまで、
「損した」
という評価に置き換えていることがあるのかもしれません。
だったら「損した」と思ったとき、
少しだけその言葉の奥を見てみる。
私は本当は、何を感じたんだろう?
残念だった?
悔しかった?
期待していた?
本当はこっちが欲しかった?
そうすると、
得か損かという採点ではなく、
自分自身の気持ちが見えてくる。
誰かが決めた「当たり」ではなく、
私にとっての「当たり」は何だろう?
人生でも、ときどきそんなふうに
自分に聞いてみてもいいのかもしれません。