まっさらな瞳

こんにちは。

このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。

 

ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。

 

私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。

 

このブログでは、

 

自己信頼や内なる叡智を思い出すこと

 

自分らしい生き方を育む気づき

 

夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント

 

などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。

 

ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。

 

さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。

ペットにとっても、住環境は大切。

 

 

住環境というと、

人が暮らす環境を思い浮かべる方が多いかもしれません。

 

 

 

でも、家族のメンバーは、

人だけではありません。

 

犬や猫など、

大切なペットも同じ家で暮らしています。

 

 

 

だからこそ、

ペットにとっても安心して過ごせる環境とは何だろうと、

最近考える出来事がありました。

 

 

 

朝早い時間、

犬の散歩をされている方を見かけます。

 

その散歩コースでは、

近くに住んでいる犬と出会うことがあるのか、

毎日のように犬同士が激しく吠え合う場面が続いていました。

 

 

犬が吠えること自体は、

決して珍しいことではありません。

 

驚いたり、警戒したり、怖さを感じたり…。

 

 

犬には犬なりの理由があります。

 

 

 

だから、「犬が悪い」と

言いたいわけではありません。

 

 

ふと考えたのは、その犬たちにとって

散歩はどんな時間なのだろう、ということでした。

 

 

散歩は、運動をしたり、

外の空気を感じたり、飼い主さんと過ごしたりする、


とても大切な時間です。

 

 

 

もし毎回同じ場所で緊張したり、

警戒したりする出来事が続いているとしたら、

 

その子にとって散歩が少し

ストレスのある時間になっている可能性もあるのではないでしょうか。

 

 

 

もちろん、すべてを避けることはできません。

 

犬同士が偶然出会うこともありますし、

吠えてしまう日もあると思います。

 

 

でも、もし毎回同じ場所で強く反応してしまうのであれば、

時間帯や散歩コースを少し変えてみるという選択肢もあるかもしれません。

 

 

 

それは周囲への配慮というだけではなく、

大切な家族である愛犬が、

安心して散歩を楽しめる時間をつくることにもつながるように思います。

 

 

そして、その出来事を通して改めて感じたことがあります。

 

 

 

住環境とは、

家の中だけのことではありません。

 

 

 

家の周りの環境や、地域で暮らす人たちとの関わり、

そこで流れる時間も含めて、毎日の暮らしはつくられています。

 

 

 

人も、ペットも、安心して過ごせること。

 

それが、本当の意味で
豊かな住環境なのではないかと、
私は感じています。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

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どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



以前のわたしは、


 

「これくらい我慢しなきゃ。」

 

「わたしの心が狭いのかな。」


 

そんなふうに考えていました。


 

 

でも、ある時気づいたのです。

 

 

問題は、「我慢できるかどうか」

ではありませんでした。

 

 

 

人は、一日に何度も小さな中断を経験すると、

そのたびに意識が切り替わります。

 

 

 

読書をしていても、

 

眠っていても、

 

仕事に集中していても、

 

突然その流れが止まる。

 

 

 

また元に戻ろうとすると、

意外とエネルギーを使います。

 

 

 

一つひとつは小さな出来事でも、

 

それが毎日積み重なると、

 

 

「なんとなく疲れる。」

 

「やる気が出ない。」

 

「家にいても休めない。」

 

 

そんな状態になることがあります。

 

 

 

 

住環境とは、

 

ただ雨風をしのぐ場所ではありません。

 

 

 

自分のエネルギーを守り、

回復させる場所でもあるのです。

 

 

 

だからこそ、

 

「どれだけ不要なことでエネルギーを使っているのか。」

 

そこに気づくことも、
住環境を見直す第一歩なのだと思います。







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安心できる家とは、「自然な自分」でいられる家。



「住環境」と聞くと、多くの方は

 

・家の広さ

・家賃

・日当たり

・築年数

・インテリア

 

そんなことを思い浮かべるかもしれません。

 

 

もちろん、それらも大切です。

 

 

 

でも、わたしが考える住環境は少し違います。

 

 

それは、

 

安心して自然な自分でいられる場所。

 

ということです。

 

 

 

 

例えば、

 

今日はゆっくり眠ろう。

 

今日は本を読もう。

 

今日は何もしない日にしよう。

 

 

そんなふうに思っていても、

 

 

騒音が気になったり、

 

突然インターホンが鳴ったり、

 

何度も訪問があったりすると、

 

その瞬間、自分の時間は止まってしまいます。

 

 

 

もちろん、

インターホンを押した人に悪気があるとは限りません。

 

生活音も、お互い様な部分はあります。

 

 

でも、「悪い人がいるかどうか」と、

「安心して暮らせるかどうか」は、別の話です。

 

 

わたしたちの心や体は、

安心できる環境だからこそ休まり、回復していきます。

 

 

 

自然な自分で過ごせること。

 

実は、それこそが住環境の大切な条件なのだと、

わたしは感じています。





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住環境は、ただ住むだけの場所ではない。

 

 

 

 

わたしはこれまで、実家や賃貸など、

さまざまな住環境で暮らしてきました。

 

その中で、

強く感じるようになったことがあります。

 

 

 

それは、住環境は

「ただ住むための場所」ではないということです。

 

 

 

住まいとは、

心と体を安心して休める場所。

 

疲れた心と体を回復させ、

エネルギーを蓄え、

また新しい一歩を踏み出すための土台となる場所なのだと思っています。

 

 

 

だからこそ、

家にいても誰かの出入りで落ち着かなかったり、騒音が続いたり、

自分らしい生活ができない環境では、

心も体も十分に休まりません。

 

 

 

安心できる場所がないということは、

想像以上に人生へ影響を与えることがあります。

 

 

 

 

今日は、実際にわたしが体験した

出来事をひとつお話しします。

 

これは、実家で暮らしていた頃のことです。

 

 

 

わたしには、とても可愛い姪っ子がいます。

 

生まれた頃から一緒に過ごす時間が多く、

成長して元気に走り回れるようになった頃でした。

 

ある日、両親が姪っ子の面倒を見てくれていました。

 

その日は、久しぶりにゆっくり読書をしたり、

勉強をしたりしようと、

とても楽しみにしていた日でした。

 

 

ところが、その時間になると、

わたしの部屋の真上にある広いスペースで遊ぶことになったようでした。

 

 

実家は木造だったため、

走るたびに足音が大きく響きます。

 

 

耳栓も試しましたが、

ほとんど効果はありませんでした。

 

 

楽しそうに走り回る音や笑い声が響くたびに集中が途切れ、

本を読もうとしても内容が頭に入ってきません。

 

 

結局、その日楽しみにしていた読書や勉強の時間は、

思うように過ごすことができませんでした。

 

 

 

もちろん、姪っ子が悪いわけではありません。

 

 

 

元気に遊ぶことは、

子どもにとって自然なことです。

 

 

ただ、その出来事を通して改めて感じたのは、

「安心して自分の時間を過ごせる環境」があることは、

決して当たり前ではないということでした。

 

 

 

住環境は、毎日の睡眠や休息だけでなく、

学びや仕事、創造性、

そして夢へ向かう力までも支えてくれます。

 

 

人生を変えようと頑張る前に、

まずは自分が安心してエネルギーを回復できる場所があること。

 

 

それが、人生の土台なのだと、
わたしは今、強く感じています。



当時のわたしは、この出来事が人生にどれほど影響していたのか、
まだ気づいていませんでした。

ですが今振り返ると、
住環境は人生の土台そのものだったのだと分かります。






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私は長い間、告白というものを

とても大きなものだと思っていた。

 

 

好きな人に気持ちを伝える。

 

 

 

たったそれだけのことなのに、

まるで人生が決まるかのような感覚があった。

 

 

 

 

もし断られたらどうしよう。

 

何とも思っていないと言われたらどうしよう。

 

気まずくなったらどうしよう。

 

 

そんな不安や恐れがたくさんあった。

 

 

 

 

だから、伝えたいのに伝えられない。

 

好きなのに言えない。

 

そんなこともあった。

 

 

 

 

でも最近、告白についての捉え方が少し変わった。

 

 

 

私は以前、

 

「告白」と「返事」

 

をセットにして考えていたように思う。

 

 

 

 

好きですと伝えたら、

 

相手も好きですと言ってくれるか。

 

付き合えるのか。

 

断られるのか。

 

その結果まで含めて告白だと思っていた。

 

 

 

だから怖かった。

 

 

 

 

でも今は、少し違う。

 

 

 

 

告白とは、

 

 

ただ自分の気持ちを伝えること。

 

 

 

 

それだけで十分なのではないかと思うようになった。

 

 

 

私はあなたのことが好きです。

 

そう感じています。

 

 

 

ただ、その事実を伝える。

 

それだけでもう完了しているのではないだろうか。

 

 

 

もちろん、相手が同じ気持ちだったら嬉しい。

 

好きですと言い返してくれたら、

とても幸せだと思う。

 

 

 

でも、それは相手の自由だ。

 

 

 

私が決められることではない。

 

だから、返事までを

自分のものにしようとしなくていい。

 

 

 

 

もし返事が怖いなら、

 

「返事はいりません。ただ私の気持ちだけ受け取ってください」

 

そう伝えるのも一つの形なのかもしれない。

 

 

 

 

最近、そんなふうに思うようになった。

 

 

 

 

 

そして、もう一つ気づいたことがある。

 

 

 

それは、人を好きになること自体が

とても特別なことだということだ。

 

家族や友人のような人としての好意とはまた違う。

 

 

 

 

恋愛として誰かを好きになる。

 

心が動く。

 

気になる。

 

会いたくなる。

 

話したくなる。

 

 

 

そんな相手に出会うことは、

実はそう何度もあることではない。

 

 

 

だから私は、その気持ちそのものを大切にしたいと思う。

 

 

 

 

好きになれたこと。

 

心が動いたこと。

 

その人の存在によって、

自分の世界が少し変わったこと。

 

 

 

それだけでも十分に尊いことだと思う。

 

 

 

 

以前の私は、

 

告白を成功か失敗かで見ていた。

 

 

 

 

でも今は違う。

 

 

 

勇気を出して伝えられた。

 

自分の本音を言葉にできた。

 

その人を好きになれた。

 

 

 

それだけでも十分に価値があると思う。

 

 

 

 

好きという気持ちは、

相手から何かを返してもらうためだけに存在するものではない。

 

 

自分の心が動いた証でもある。

 

 

 

 

だから告白は、

 

人生を左右する恐ろしいものではなく、

 

自分の気持ちを大切に表現するものなのかもしれない。

 

 

 

そしてもし、相手も同じ気持ちだったなら。

 

それは奇跡のような出来事として、

ありがたく受け取ればいい。

 

 

 

でも、それがなくても、

 

好きになれたこと。

 

好きだと伝えられたこと。

 

その喜びは、誰にも奪われないのだと思う。






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「承認欲求」という言葉を聞くと、

どんなイメージを持つだろう。

 

 

 

認められたい。

 

褒められたい。

 

評価されたい。

 

 

 

 

現代では、承認欲求という言葉が

良い意味で使われることもあれば、否定的な意味で使われることもある。

 

 

 

 

「承認欲求が強い人」

 

という言葉には、どこか未熟さや

依存のようなニュアンスが含まれることもある。

 

 

 

 

でも最近、私はふと思った。

 

承認欲求には、もともとの形と、

後から変化した形があるのではないだろうか、と。

 

 

 

 

小さな子どもはよく、

 

「見て見て!」

 

と言う。

 

 

絵を描いた時。

 

積み木ができた時。

 

走れた時。

 

何かを発見した時。

 

嬉しそうに駆け寄ってくる。

 

 

 

大人はそれを見て、

 

「褒めてほしいんだね」

 

と言うかもしれない。

 

確かにそういう側面もあるだろう。

 

 

 

でも私は最近、

それだけではない気がしている。

 

 

 

子どもは、

 

「認めてほしい」

 

というより、

 

 

「嬉しい!」

 

「楽しい!」

 

「できた!」

 

「一緒に見て!」

 

そんな感覚なのではないだろうか。

 

 

 

 

そこには、

自分の価値を証明したいという思いよりも、

 

 

自分が感じた喜びを

誰かと分かち合いたいという気持ちがあるように感じる。

 

 

 

そして、その喜びを

一緒に喜んでもらえた時、さらに嬉しくなる。

 

 

 

本来の承認欲求とは、

もしかするとそういうものなのかもしれない。

 

 

 

ところが、私たちは成長するにつれて、

少しずつ社会のルールを学んでいく。

 

 

 

いい点数を取る。

 

大会で結果を出す。

 

賞をもらう。

 

いい学校に入る。

 

資格を取る。

 

肩書きを持つ。

 

 

 

 

そうすると、いつの間にか

 

「何をしたいか」

 

よりも、

 

「何をすれば認められるか」

 

を考えるようになることがある。

 

 

 

すると、承認欲求の質が変わる。

 

本来は、

 

「見て!楽しいよ!」

 

だったものが、

 

「認めてほしい」

 

になり、

 

 

 

さらに、

 

「認められなければ価値がない」

 

へと変わっていくこともある。

 

 

 

 

もちろん、努力することが悪いわけではない。

 

目標を持つことも素晴らしいことだ。

 

 

 

けれど、それが本当に

自分の望みから生まれたものなのか。

 

それとも、認められるために選んだものなのか。

 

そこには大きな違いがあるように思う。

 

 

 

本当にやりたいから挑戦する。

 

好きだから学ぶ。

 

楽しいから続ける。

 

 

 

その結果として評価されることは、

とても自然なことだ。

 

 

 

でも、

 

認められるために頑張る。

 

価値があると思われるために努力する。

 

存在を証明するために結果を求める。

 

 

 

そんな生き方になると、

自分の本音から少しずつ離れていってしまう。

 

 

 

だから私は最近、

承認欲求そのものが悪いのではないと思っている。

 

むしろ、本来の承認欲求は大切なものだ。

 

 

 

嬉しいことを共有したい。

 

感じたことを伝えたい。

 

誰かと喜びを分かち合いたい。

 

 

 

それは人が人として自然に持っている願いなのだと思う。

 

 

 

大切なのは、

 

認められたいから生きるのか。

 

自分の喜びを生きた結果として認められるのか。

 

その違いなのかもしれない。

 

 

 

もし自分の本音がわからなくなった時は、

 

「私は何を認めてほしいのだろう?」

 

ではなく、

 

「私は本当は何が好きなのだろう?」

 

と問いかけてみたい。

 

 

 

その答えの中に、
本来の自分らしさが隠れているような気がしている。






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以前の私は、知らず知らずのうちに

「自分じゃない自分」を持っていたように思う。

 

 

強く見られたい。

 

しっかりしていると思われたい。

 

優しい人と思われたい。

 

理解のある人でいたい。

 

 

 

そんなふうに、たくさんの

「こう見られたい自分」を抱えて生きていた。

 

 

でもある時、それがとても重くなった。

 

疲れてしまった。

 

 

そして、ふっと手を離した。

 

 

 

すると不思議なことに、

何かを失った感覚ではなく、

むしろ軽くなった感覚があった。

 

 

本来の自分に戻ったような感覚だった。

 

 

 

私はよく、「強さ」や「弱さ」

という言葉について考えることがある。

 

でも最近思うのは、

それらは絶対的なものではないということだ。

 

 

 

自分では弱みだと思っていることを、

誰かは魅力だと感じるかもしれない。

 

自分では強さだと思っていることを、

別の誰かは無理をしているように感じるかもしれない。

 

 

結局のところ、強さも弱さも、

その人の価値観の中で生まれるものなのだと思う。

 

 

だから、強くなろうとしなくていい。

 

弱さを隠そうとしなくていい。

 

 

ただ、自分に正直であればいい。

 

そんなふうに感じるようになった。

 

 

 

 

世の中にはたくさんの肩書きがある。

 

先生。

 

経営者。

 

専門家。

 

リーダー。

 

有名人。

 

 

肩書きを聞くだけで、

「すごい人だな」と感じることもある。

 

 

もちろん、その人が積み重ねてきた努力や経験には敬意を持ちたい。

 

 

 

けれど、肩書きそのものは情報に過ぎない。

 

それは目に見える実体ではない。

 

 

 

だから私は最近、

肩書きに圧倒されることが少なくなった。

 

 

そして、自分自身も

肩書きのために何かを目指したいとは思わなくなった。

 

 

 

 

もし本当にやりたいことがあって、

その結果として肩書きがついてくるのなら素敵だと思う。

 

 

 

でも、

 

「すごいと思われたい」

 

「認められたい」

 

「価値があると思われたい」

 

という理由で肩書きを追いかけると、

自分を見失ってしまう気がする。

 

 

 

本音で生きることは簡単そうで難しい。

 

 

 

 

なぜなら、自分の頭の中には

たくさんの他人が住んでいるからだ。

 

 

 

嫌われたくない。

 

弱いと思われたくない。

 

かっこ悪いと思われたくない。

 

 

そんな声が聞こえてくる。

 

 

すると、自分の本音ではなく、

その声に合わせた選択をしてしまう。

 

 

でも、それを続けていると疲れてしまう。

 

 

なぜなら、それは

本当の自分ではないから。

 

 

 

 

だから私は最近、

 

 

弱く見られてもいい。

 

かっこ悪く見られてもいい。

 

そう思っている。

 

 

 

完璧じゃなくていい。

 

立派じゃなくていい。

 

ただ、自分でいたい。

 

 

 

その方がずっと楽だし、

心も体も喜んでいる気がする。

 

 

 

 

何者かになろうとするよりも、

 

自分として生きる。



 

その方が、ずっと自然で心地いい。

 

最近はそんなふうに感じている。





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先日、ある話を聞いた。

 

 

 

飲食店を経営している男性がいて、その方には奥様がいる。

 

その男性いわく、

 

「うちの妻は、私が浮気をしてもいいと言っている」

 

のだそうだ。

 

さらに奥様は、

 

「私より素敵な女性だったら認めてあげる。もし本当にそんな人が現れたら離婚してあげる」

 

とも言っているらしい。

 

 

 

昔の私なら、

 

「なんて器の大きい人なんだろう」

 

と思っていたかもしれない。

 

 

 

けれど今の私は、少し違う見方をしている。

 

 

もちろん、本当に嫉妬をしない人もいると思う。

 

束縛を好まない人もいるし、

パートナーを一人の人間として尊重する人もいる。

 

 

だから、そのご夫婦がどうなのかは、私にはわからない。

 

 

 

ただ、その話を聞いていてふと思った。

 

人は時々、本音よりも恐れを選ぶことがあるのではないか、と。

 

 

 

「私より素敵な女性だったら認める」

 

という言葉の中には、比較が存在している。

 

 

私より上か下か。

 

勝ちか負けか。

 

選ばれるか選ばれないか。

 

 

 

もし本当に何も恐れがなければ、

そもそも比較する必要もないのかもしれない。

 

 

 

だから私は、その言葉の奥にあるものが少し気になった。

 

 

 

もしかしたら、

 

「嫉妬したくない」

 

「重い女と思われたくない」

 

「理解のある妻でいたい」

 

そんな思いもあるのかもしれない。

 

 

 

もちろん、これは私の想像でしかない。

 

 

正解は本人にしかわからない。

 

でも人は、本音をそのまま見せるよりも、

強く見える自分を選ぶことがある。

 

 

平気なふりをしたり。

 

余裕があるふりをしたり。

 

器が大きいふりをしたり。

 

 

それは弱いからではなく、

傷つくのが怖いからだ。

 

 

 

 

 

考えてみれば、

恋愛も同じかもしれない。

 

 

 

 

本当に好きな人がいても、

失恋が怖くて気持ちを伝えられないことがある。

 

振られたくないから、

無難な相手を選ぶこともある。

 

 

一人になる不安から、

好きではない相手と付き合うこともある。

 

 

 

私はそれを責めたいわけではない。

 

 

 

なぜなら、人はみんな怖いからだ。

 

 

 

拒絶されるのは怖い。

 

傷つくのは怖い。

 

失うのは怖い。

 

それが人間だと思う。

 

 

 

 

ただ私は、自分の本音だけは

見失いたくないと思っている。

 

怖くてもいい。

 

不安でもいい。

 

嫉妬してもいい。

 

 

 

でも、本当は何を感じているのかだけは、

自分で知っていたい。

 

そう思う。

 

 

 

人は強いようで弱い。

 

弱いようで強い。

 

 

 

本音で生きたいと思いながら、恐れにも支配される。

 

だからこそ、人間は面白い。

 

そして、その複雑さがあるからこそ、
人を理解することも、自分を理解することも、
一生終わらないのかもしれない。





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最近、自分とのつながりについて考えている中で、

ひとつ思い出した出来事がありました。

 

 

 

それは人間関係の中で感じた、

ある窮屈さについてです。

 

 

 

 

例えば、

 

AさんとBさんがいたとします。

 

 

 

 

二人は以前は仲が良かったけれど、

ある出来事をきっかけに関係がこじれてしまいました。

 

 

Aさんは傷つき、

 

「もうBさんとは仲良くできない」

 

と言っています。

 

 

 

 

私はAさんと仲が良く、信頼関係もあります。

 

 

一方で、Bさんとはまだ深い交流はありません。

 

 

でも、私はBさんに対して特に悪い印象もなく、

 

「どんな人なんだろう」

 

「もう少し話してみたいな」

 

そんな気持ちを持っていました。

 

 

 

 

この時、多くの人はどうするでしょうか。

 

 

 

 

Aさんの気持ちを考えて、

 

Bさんと距離を置くかもしれません。

 

 

 

私自身も長い間、

 

それが当たり前だと思っていました。

 

 

 

でもある時、

信頼している方に相談したことがあります。

 

 

 

すると、

 

「あなたがBさんと交流したいなら、交流していいと思う」

 

と言われました。

 

 

 

最初は驚きました。

 

 

でも続けてこう言われたのです。

 

「もしそのことでAさんが離れていくなら、それはあなたの責任ではない」

 

「大事なのは、あなたがどうしたいかだと思う」

 

その言葉を聞いた時、

 

私はほっとした反面、

 

強い罪悪感も感じました。

 

 

 

 

なぜなら私は、

 

どこかでこう思っていたからです。

 

「自分の気持ちを優先するのはわがままだ」

 

「相手が傷つく可能性があるなら我慢するべきだ」

 

「仲良くしたいと思っても、その選択はしてはいけない」

 

 

 

そんな思い込みです。

 

 

 

 

でも最近になって気づきました。

 

 

 

 

私は本当にAさんを大切にしていたのでしょうか。

 

 

 

それとも、

 

嫌われたくなかっただけなのでしょうか。

 

 

 

 

 

もちろん相手への配慮は大切です。

 

でも、

 

配慮と自己犠牲は同じではありません。

 

 

 

 

私は長い間、

 

その違いが分からなくなっていたように思います。

 

 

 

 

そして今回さらに気づいたことがあります。

 

 

 

それは、

 

私の中にずっと隠れていた問いです。

 

 

 

 

「私は自由でいてもいいのだろうか」

 

 

 

 

この問いはとても不思議でした。

 

 

 

 

なぜなら私は、

 

この問いそのものを考えないようにしていたからです。

 

 

 

自由になりたい。

 

自由に選びたい。

 

そんな気持ちが出てきても、

 

すぐに打ち消していました。

 

 

 

「それはわがままだ」

 

「そんなことを考えてはいけない」

 

「答えはもう出ている」

 

 

 

そうやって自分で蓋をしていたのです。

 

 

 

でも本当は違いました。

 

 

 

私は誰かを傷つけたいわけではありません。

 

裏切りたいわけでもありません。

 

 

 

ただ、

 

自分が感じたことを大切にしたかった。

 

自分がどうしたいのかを知りたかった。

 

 

 

それだけだったのです。

 

 

 

今振り返ると、

 

私が恐れていたのは自由そのものではなく、

 

 

自由になることで

誰かを傷つけるかもしれないという不安

だったのかもしれません。

 

 

 

でも人生は一人ひとりのものです。

 

選択もまた一人ひとりのものです。

 

 

 

私は私の人生を生きる。

 

相手は相手の人生を生きる。

 

 

 

その中でお互いを尊重する。

 

 

 

それは決して冷たいことではなく、

 

むしろ健全な信頼なのかもしれません。

 

 

 

 

そして私は今、

 

少しずつ思えるようになってきました。

 

 

 

 

自由でいることは、

 

誰かを大切にしないことではない。

 

自分を大切にすることでもあるのだと。

 

 

 

もしかすると、

 

自分とのつながりとは、

 

こういう小さな選択の中で育っていくものなのかもしれません。






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私はこれまで、

 

「セクシャルウェルネスを広めたい」

 

そう思って活動してきました。

 

 

 

そして今も、その思いは変わっていません。

 

 

 

私は自分のことを、

 

セクシャルウェルネスメンターと名乗っています。

 

 

 

人から仕事を聞かれたら、

 

「セクシャルウェルネスメンターをしています」

 

 

そう答えます。

 

 

 

 

でも正直に言うと、

 

私は長い間、どこかで立ち止まっていました。

 

 

 

 

発信したいのに進めない。

 

伝えたいのに言葉にならない。

 

 

そんな感覚がありました。

 

 

 

 

 

なぜだろう。

 

そう思いながらも、

なかなか答えが見つかりませんでした。

 

 

 

 

振り返ると、

 

私はどこかで、

 

セクシャルウェルネスという

言葉に対する人の反応を気にしていたのかもしれません。

 

 

 

 

性について学んでいる人。

 

エロスが好きな人。

 

快感を追求する人。

 

 

 

 

そんなふうに受け取られることへの抵抗感もありました。

 

 

 

 

 

でも今は思います。

 

 

 

どう受け取るかは相手の自由です。

 

 

 

 

興味があれば聞いてくれるでしょう。

 

興味がなければ通り過ぎるでしょう。

 

 

 

それは相手の選択です。

 

 

 

 

 

だから私は、

 

誤解されないように説明し続ける必要も、

 

証明し続ける必要もないのだと思います。

 

 

 

 

 

ただ、自分が大切にしていることを

誠実に伝えていけばいい。

 

 

 

そう思えるようになりました。

 

 

 

 

 

そして最近、大きな気づきがありました。

 

 

 

 

私はセクシャルウェルネスを伝えたいだけではなかったのです。

 

 

 

 

 

 

私が本当に伝えたかったのは、

 

「自分とのつながり」

 

でした。

 

 

 

 

自分の気持ちを感じること。

 

自分の本音に気づくこと。

 

自分を信頼すること。

 

自分を理解すること。

 

 

 

 

 

私はずっと、

 

そこを伝えたかったのです。

 

 

 

 

 

セクシャルウェルネスも、

 

NVCも、

 

ヒーラー養成講座も、

 

 

全部そのための入口でした。

 

 

 

 

 

でも私はいつの間にか、

 

入口の説明ばかりをしようとしていました。

 

 

 

 

本当に見せたかった景色ではなく、

 

入口そのものを説明しようとしていたのです。

 

 

 

 

だから苦しかったのかもしれません。

 

だから進めなかったのかもしれません。

 

 

 

 

今回ようやく気づきました。

 

 

 

 

私が届けたいのは、

 

自分とのつながり。

 

 

 

 

自己理解。

 

自己信頼。

 

 

 

そして、

 

「私は私でいていい」

 

という感覚です。

 

 

 

 

それを伝えるために、

 

私はセクシャルウェルネスという入口を選んでいる。

 

 

 

 

そう考えたとき、

 

すべてが一本の線でつながりました。

 

 

 

 

 

今思うのです。

 

私は新しい何かを見つけたのではありません。

 

 

 

 

 

ずっと大切にしていたものを、

 

ようやく自分自身に認めることができたのだと思います。

 

 

 

 

 

だから今、

 

とても不思議な感覚があります。

 

 

 

 

何かを達成したわけではありません。

 

何かが完成したわけでもありません。

 

 

 

 

 

それなのに、

 

やっとスタート地点に立てた気がするのです。

 

 

 

そして今まで開けようとしていた扉ではなく、

 

 

 

本当に開けたかった扉を、

 

ようやく開け始めた気がしています。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



 

 

私は長い間、

 

自分と向き合うことが少し怖かったように思います。

 

 

 

 

なぜなら、

 

向き合った先には醜い自分がいる。

 

 

 

 

そんな話を聞くことがあったからです。

 

 

 

 

 

嫉妬。

 

怒り。

 

執着。

 

認めたくない感情。

 

 

 

 

 

自分と向き合うとは、

 

そういったものを見ることだと思っていました。

 

 

 

だから怖かったのです。

 

 

 

 

 

でも今回、自分の気持ちと向き合ってみて思いました。

 

 

 

私が出会ったのは、

 

醜い自分ではありませんでした。

 

 

 

とても素直な気持ちでした。

 

 

 

 

本当はつながりたかった。

 

本当は大切にされたかった。

 

本当は寂しかった。

 

 

そんな純粋な思いでした。

 

 

 

 

そして私は、もう一つ気づきました。

 

たとえ人が「醜い感情」と呼ぶようなものがあったとしても、

 

それは本当に醜いのでしょうか。

 

 

 

 

もしかすると、

 

ただその人の内側から生まれた、

 

ありのままの気持ちなだけなのかもしれません。

 

 

 

 

そこに良いも悪いもなく、

 

高いも低いもなく、

 

ただ存在しているだけ。

 

 

 

 

私たちが勝手に名前を付けているだけなのかもしれません。

 

 

 

 

今回、自分の気持ちに触れて感じたのは、

 

自分を裁く必要はないということでした。

 

 

 

理解することはできる。

 

感じることもできる。

 

 

 

でも裁かなくていい。

 

 

 

 

自分の本音は、

 

誰かに見せるためのものではありません。

 

 

 

誰かに評価してもらうためのものでもありません。

 

 

 

まずは自分自身が出会うためのものです。

 

 

 

 

 

そして私は今、

 

以前よりもずっと自然な気持ちで、

 

自分と向き合える気がしています。

 

 

 

怖いから向き合うのではなく、

 

もっと知りたいから向き合う。

 

 

 

直したいから向き合うのではなく、

 

理解したいから向き合う。



 

そんなふうに、
自分との関係が少し変わった気がしています。







魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

 

私はこれまで、

「大きな変化」や「変容」というものに対して、

どこか特別なイメージを持っていました。

 

 

 

 

人生が変わるような気づき。

 

衝撃的な体験。

 

劇的な覚醒。

 

 

 

まるで夜空に打ち上がる花火のように、

 

ドーンと大きな音を立ててやって来るものだと思っていました。

 

 

 

 

でも今回、自分の中で起きた変化は違いました。

 

 

 

 

とても静かでした。

 

 

誰かから見れば、

何も起きていないように見えたかもしれません。

 

 

 

 

でも私の内側では、

 

世界の見え方が変わっていました。

 

 

 

 

私は長い間、

 

なぜ傷ついた相手を気にしてしまうのか分かりませんでした。

 

 

 

そして今回、

 

その奥にあった寂しさに気づきました。

 

 

 

その瞬間、

 

何かが弾けたわけではありません。

 

劇的な感動があったわけでもありません。

 

 

 

でも、

 

「ああ、そういうことだったのか」

 

という深い納得がありました。

 

 

 

そして不思議なくらい心が軽くなりました。

 

 

 

 

今思うのです。

 

 

 

本当に深い変化というのは、

 

打ち上げ花火のようなものではないのかもしれません。

 

 

 

 

むしろ、

 

静かに地面の下で根を張る

木のようなものなのかもしれません。

 

 

 

 

外からは見えない。

 

派手さもない。

 

 

 

でも気づいたときには、

 

もう以前と同じ景色ではなくなっている。

 

 

 

 

今回の体験を通して、

 

私はそんな変化の存在を知りました。

 

 

 

 

 

静かだけれど確かな変化。

 

 

 

 

それこそが、
本当の変容なのかもしれません。




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現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



 

 

今日、たまたま

YouTubeを見ていました。

 

 

 

ブログのネタを探していたといえばそうかもしれません。

 

 

 

でも今思うと、

 

ネタを探していたというより、

 

私自身がまだ気づいていない自分を探していたのかもしれません。

 

 

 

動画を見ながら、

 

ずっと心の奥にあった感覚を思い出しました。

 

 

 

私はずっと、

 

 

嫌なのに気になる。

 

傷ついたのに期待してしまう。

 

 

そんな自分を抱えていました。

 

 

 

 

誰にも言えませんでした。

 

 

 

だって恥ずかしかったからです。

 

 

普通なら、

 

嫌だったら離れる。

 

傷ついたら終わる。

 

それで話は終わるはずです。

 

 

 

でも私はそうではありませんでした。

 

 

 

だから余計に、

 

自分でも理解できませんでした。

 

 

 

けれど今日、その気持ちと向き合いました。

 

最初は痛かったです。

 

 

 

 

正直、見たくない気持ちでもありました。

 

 

 

 

でも向き合った先で見つけたのは、

 

執着でもなく、

 

ひねくれでもなく、

 

「寂しかった」

 

という気持ちでした。

 

 

 

 

その瞬間、

 

涙があふれてきました。

 

 

 

悲しかったからではありません。

 

 

 

やっと気づいたからです。

 

やっと分かってあげられたからです。

 

 

 

 

今振り返ると、

 

私の中の私がずっと待っていたのかもしれません。

 

 

 

 

「本当は寂しかったんだよ」

 

「本当はつながりたかったんだよ」

 

 

そう言ってほしかったのかもしれません。

 

 

 

 

今日流れた涙は、

 

何かを失った涙ではなく、

 

 

 

 

ようやく自分自身に出会えた涙だったような気がしています。

 

 

 

 

そして不思議なくらい、

 

今は心が爽やかです。

 

 

 

 

問題が解決したわけではありません。

 

人生が変わったわけでもありません。

 

 

でも、

 

長い間見えなかった自分の気持ちが見えた。

 

 

 

 

それだけで、
人はこんなにも軽くなれるのだと知りました。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

 

 

私は長い間、自分のことを

少しひねくれているのかもしれないと思っていました。

 

 

 

だって、おかしいじゃないですか。

 

 

 

嫌な思いをした相手なのに気になる。

 

傷ついた相手なのに連絡が来ないかなと思う。

 

 

 

もう関わりたくないと言いながら、

どこかで相手のアクションを期待している。

 

 

 

そんな自分を見て、

 

私は自分でも理解できませんでした。

 

 

 

 

だから、

 

「私はひねくれているのかな」

 

「面倒くさい人間なのかな」

 

 

 

そんなふうに思っていました。

 

 

 

 

でも今回、

自分の気持ちを丁寧に見ていったときに気づいたのです。

 

 

 

私はひねくれていたわけではありませんでした。

 

 

 

私は寂しかったのです。

 

 

もっと心を通わせたかった。

 

もっと関心を向けてほしかった。

 

もっと大切に扱われたかった。

 

もっと本音でつながりたかった。

 

 

 

その願いが叶わなかった。

 

 

 

 

だから未完了だった。

 

だから心に残っていた。

 

 

 

ただそれだけだったのです。

 

 

 

 

 

それに気づいたとき、

 

私は初めて自分のことを責めなくなりました。

 

 

 

 

今まで私は、

 

気持ちそのものよりも、

 

 

 

 

そんな気持ちを持っている自分を否定していました。

 

 

 

でも本当は、

 

責められるような気持ちではなかったのです。

 

 

 

 

ただ寂しかっただけ。

 

ただつながりたかっただけ。

 

 

 

 

そう思えたとき、

 

長い間自分に向けていた

厳しい視線が少し緩んだ気がしました。




魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



 

 

今回の気づきは、

 

人間関係の話だと思っていました。

 

 

 

でも振り返ってみると、

それだけではなかったようです。

 

 

 

私はずっと、

 

誰かと深くつながりたいと思っていました。

 

 

 

本音で話したい。

 

安心して心を開きたい。

 

理解し合いたい。

 

 

 

そんな願いがありました。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「この人になら話せるかもしれない」

 

と思えたことが、

とても嬉しかったのだと思います。

 

 

 

 

でも今回、自分の寂しさに気づいたとき、

あることを感じました。

 

 

 

私は他者とのつながりを求めていたつもりだったけれど、

 

本当は自分自身とのつながりも求めていたのかもしれない。

 

 

 

私はずっと、

 

傷ついたことを見ていました。

 

怒りを見ていました。

 

悲しみを見ていました。

 

 

 

でもその奥にあった、

 

「寂しかった」

 

という気持ちには気づいていませんでした。

 

 

 

 

今回、その気持ちを見つけることができました。

 

 

 

誰かに埋めてもらうためではなく、

 

まず自分自身が気づいてあげるために。

 

 

 

そう思うと、この出来事は

ただの人間関係の出来事ではなく、

 

自分自身を知るための旅だったのかもしれません。

 

 

 

 

まだ途中です。

 

 

 

 

でも今は、

 

他者とのつながりを探していた道の先で、


 

少しずつ自分とのつながりを
見つけ始めているような気がしています。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

 

今振り返ると、


私がその人のことを気にしていた理由は、

その人自身だけではなかったのだと思います。

 

 

 

私はその人に対して、

 

生まれて初めて、

 

「この人になら本音を話せるかもしれない」

 

そう感じました。

 

 

 

 

恋愛ではありません。

 

 

 

 

でも心の奥では、

とても大きな出来事でした。

 

 

私はこれまで、自分の本音や、

本当に感じていることを安心して話せる感覚を、

あまり持ったことがありませんでした。

 

 

だからこそ、

 

「この人になら話せるかもしれない」

 

そう思えたことが嬉しかったのです。

 

 

 

 

希望でした。

 

安心でした。

 

喜びでした。

 

 

 

 

でも現実には、

私が思い描いていた関係にはなりませんでした。

 

 

関わる中で、

私は尊厳を傷つけられたような感覚を覚えました。

 

 

 

このまま関わり続けると自分が苦しくなる。

 

そう感じて距離を置くことにしました。

 

 

 

 

けれど今思うのです。

 

 

私が失ったと感じていたのは、

その人だけではなかったのだと。

 

 

 

 

私は、

 

「本音でつながれる関係」

 

を失ったように感じていたのかもしれません。

 

 

 

 

だから未完了だった。

 

だから寂しかった。

 

 

 

 

だから心のどこかで、

 

「何か連絡が来ないかな」

 

と思っていたのかもしれません。

 

 

 

 

その気持ちに気づいたとき、

 

 

私は少しだけ

自分を理解できた気がしました。


 


魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション


今回は3回に分けて、
わたしのリアルな体験と「自分とのつながり」についてお届けします。



 

最近、自分の中で長年わからなかったことが、

少しだけ見えてきました。

 

私はこれまで、人間関係の中で傷ついたり、

悲しい思いをした相手に対して、

 

 

 

「もう関わりたくない」

 

と思う一方で、

 

 

 

なぜか相手のことが気になってしまうことがありました。

 

 

 

 

 

頭ではわかっているんです。

 

 

 

連絡を取ればまた傷つくかもしれない。

 

また嫌な思いをするかもしれない。

 

 

 

だから実際には連絡しません。

 

 

 

でも心のどこかで、

 

「何か連絡が来ないかな」

 

「何かアクションを起こしてくれないかな」

 

そんなことを思ってしまう自分がいました。

 

 

 

 

私はずっと、

 

「なぜだろう?」

 

と思っていました。

 

 

 

 

嫌な思いをしたのに。

 

苦しかったのに。

 

なぜ私はその人を気にしてしまうのだろう。

 

 

 

 

もしかしたら私は、

自分で自分を苦しめたいのだろうか。

 

そんなことまで考えたこともありました。

 

 

 

 

でも最近、一つ気づいたことがあります。

 

私が追いかけていたのは、

その人ではなかったのかもしれない。

 

 

 

本当は、

 

叶わなかった願い。

 

満たされなかった思い。

 

そして、

 

寂しさ。

 

それを追いかけていたのかもしれない。

 

 

 

 

そう思ったとき、心が少し軽くなりました。



もしかすると私が本当に見てほしかったのは、

相手ではなく、
自分自身の中にあった寂しさだったのかもしれません。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



 

 

最近、自分の中で

長年不思議だったことが、少し分かった気がしました。

 

 

 

私は過去に、

 

「この人になら何でも話せるかもしれない」

 

そう思えた相手がいました。

 

 

 

恋愛ではありません。

 

 

 

でも心の交流ができたらいいな。

 

もっとお互いを知れたらいいな。

 

そんなふうに思っていました。

 

 

 

 

ところが関わる中で、

私は何度か尊厳を傷つけられたような感覚を覚えました。

 

 

言葉にすると難しいのですが、

 

 

大切に扱われていないような、

 

引きずり下ろされるような、

 

そんな感覚でした。

 

 

 

 

私はその関係の中で

傷つき続けることが嫌だったので、

距離を置くことにしました。

 

 

 

 

それ以降、本音も話さなくなりました。

 

 

 

 

頭では分かっていたんです。

 

 

 

連絡を取れば、

また苦しくなるかもしれない。

 

 

 

だから実際には連絡しませんでした。

 

 

 

 

でも不思議なことに、

 

 

相手から何か連絡が来ないかな。

 

何かアクションを起こしてくれないかな。

 

 

そんなことを考えてしまう自分がいました。

 

 

 

 

 

私はずっと、

 

「なぜだろう?」

 

と思っていました。




 

嫌な思いをしたのに。

 

傷ついたのに。

 

 

なぜ相手を気にしてしまうのだろう、と。

 

 

 

 

 

そして最近気づいたのです。

 

 

 

 

私が追いかけていたのは、

相手ではなかったのかもしれないと。

 

 

 

 

本当は、

 

 

もっと関心を持ってほしかった。

 

もっと心を通わせたかった。

 

もっと大切に扱ってほしかった。

 

 

そんな願いがあったのだと思います。

 

 

 

 

だから相手を追いかけていたのではなく、

 

叶わなかった願いを追いかけていた。

 

 

 

満たされなかった寂しさを追いかけていた。

 

 

 

 

そんな気がしています。

 

 

 

 

そのことに気づいた時、

 

不思議と心が軽くなりました。

 

 

 

 

相手に何かしてもらうことを求めていたのではなく、

 

私はただ寂しかったのだと。

 

 

 

 

その気持ちを自分で認められた時、

 

長く続いていた心の引っかかりが、
少しほどけた気がしました。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション


 

最近、YouTubeで

「波動が合わないのに離れない人間関係」という話を耳にしました。

 

 

その内容を聞いているうちに、

ずっと自分の中でモヤモヤしていたことを思い出したんです。

 

 

私はこれまで、

人間関係の中で傷ついたり、

裏切られたと感じたりした相手に対して、

 

 

「もう関わりたくない」

 

 

と思う一方で、

 

 

なぜか相手のことが

気になってしまうことがありました。

 

 

 

本当は距離を置きたい。

 

 

でも、どこかで相手からの連絡や反応を

期待している自分がいる。

 

 

 

 

そんな自分に対して、

 

「私は自分を苦しめたいのだろうか」

 

「自分で自分をいじめているのだろうか」

 

と思うこともありました。

 

 

 

でも今回、

自分の気持ちを丁寧に見ていく中で、

一つの気づきがありました。

 

 

 

それは、

 

私は相手を追いかけていたのではなく、

 

「寂しさ」を追いかけていたのかもしれない

 

ということです。

 

 

 

 

本当は、

 

もっと関心を持ってほしかった。

 

もっと私のことも知ろうとしてほしかった。

 

私が相手を大切に思うように、

相手にも私を大切に思ってほしかった。

 

 

そんな願いがあったのだと思います。

 

 

 

 

でも、その願いは叶いませんでした。

 

 

 

 

だから心のどこかで、

 

「いつか分かってくれるかもしれない」

 

「いつか変わるかもしれない」

 

 

という期待が残っていたのかもしれません。

 

 

 

 

そしてもう一つ

気づいたことがあります。

 

 

 

人は必ずしも

心地よいものだけを求めるわけではないということ。

 

 

 

たとえ嫌な体験だったとしても、

 

慣れ親しんだ感覚や、

これまで何度も経験してきたパターンには、

 

無意識に引き寄せられることがあります。

 

 

 

 

だから、

 

嫌なのに気になる。

 

苦しいのに意識が向く。

 

 

 

そんなことが起こるのかもしれません。

 

 

 

 

でも今回、自分の中にあった

 

 

 

「寂しかった」

 

 

 

という気持ちに気づいたことで、

 

不思議と心が軽くなりました。

 

 

 

 

今までは相手ばかりを見ていました。

 

 

 

でも本当は、

 

見てほしかったのは私自身の気持ちだったのかもしれません。

 

 

 

 

もしかすると、

 

同じような経験をしている人もいるかもしれません。

 

 

 

 

誰かをなかなか忘れられないとき。

 

傷ついた相手のことを何度も考えてしまうとき。

 

 

 

その奥には怒りだけではなく、

 

寂しさや悲しさ、

 

叶わなかった願いが

隠れていることもあるのかもしれません。

 

 

 

 

今回、自分の中にあった

その気持ちに気づけたことは、とても大きな出来事でした。

 

 

 

そして今は、

 

もう相手を追いかける必要はないのかもしれない。

 

 

 

 

そんな感覚が少しずつ生まれています。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション






強い体験と変化は同じものなのか──私がずっと感じてきたこと

 

最近インスタグラムで、

「クンダリーニ覚醒」や「性エネルギー」「感情の解放」

といったテーマについての発信を目にしました。

 

 

その中では、


施術によってお腹に触れたり、

感情を大きく揺らしたりすることで、

オーガズムのような感覚や強い解放体験が起き、

その瞬間に「大きく変わった」と

感じるケースについて語られていました。

 

 

また一方で、


その感覚をもう一度求めてしまい、

特定の先生や施術者のもとに通い続けるという

“依存性”についても注意が促されていました。

 

 

 

この話を見て、

わたしはあらためて

「これはとても大事な視点だ」

と感じました。

 

 

そして同時に、

これは最近たまたま思ったことではなく、

以前からずっと自分の中にあった感覚でもありました。

 

 

ただ、

それを言葉として

外に出す機会がなかっただけだと氣づきました。

 

 

 

 

「強い体験=変化」という見え方への違和感

 

ヒーリングやスピリチュアルな領域では、

強い体感や感情の解放が起きることがあります。

 

 

例えば、


・体が熱くなる

・ピリピリする

・涙が止まらなくなる

・感情が爆発する

 

 

こうした体験が起きると、

「何かが大きく変わった」と

感じることがあります。

 

 

 

しかし私はずっと、

その「強い体験」と「本質的な変化」は

同じものではないのではないか、

という感覚を持っていました。

 

 

 

もちろん、

体験そのものが悪いということではありません。




ただ、それがそのまま

“成長”や“覚醒”とイコールになるわけではないように感じています。

 

 

 

むしろそれは、

神経系の反応や、

抑圧されていた感情の一時的な放出として

起きている場合もあるのではないかと思うのです。

 

 

 

そして本質的な変化とは、

そうした瞬間的な体験とは別のところで起きていることも

多いのではないか、と感じています。

 

 

 

 

わたしが大切にしたい「内側からの変化」

 

わたし自身が大切にしたいのは、

強い刺激によって何かを起こすことではなく、


その人の内側で静かに起こっていく

理解や統合のプロセスです。

 

 

 

派手な体験ではなくても、


・同じ出来事に対する反応が変わる

・選択が少しずつ変わる

・日常の感じ方が変化していく

 

 

そういった“静かな変化”のほうに、

本質があるように感じています。

 

 

 

 

体感と意味づけは別のもの

 

また、以前

ヒーリングの学びの中で教えてもらったことがあります。

 

 

ある技術を受けると、


・体が温かくなる

・ピリピリする


といった体感が起きることがあります。

 

 

 

しかしそれは、


その技術の「すごさ」そのものではなく、

身体が自然に起こす反応である場合もある、ということです。

 

 

 

この視点を知ってから私は、

「体感の強さ」と「変化の深さ」は

必ずしも一致しない、という感覚を持つようになりました。

 

 

 

 

依存とサポートの違いについて



 

もうひとつ大切だと思うのは、

「依存」と「サポートされる期間」は

違うということです。

 

 

 

誰かに学んだり、

メンターや師のもとでサポートを受けることは、

変化のプロセスにおいて

とても大切なことだと思います。

 

 

ただそれは本来、

「その人がいないと成立しない状態」を作ることではなく、


自分の中の理解や力を育てていくための

一時的なサポートだと感じています。

 

 

一方で、


強い体験(オーガズム的な感覚や感情の爆発など)によって、

その人や場そのものに強く結びついてしまうと、

そこに依存的な構造が生まれてしまう可能性も

あるのではないかと思います。

 

 

 

わたしはそこに

少し注意が必要だと感じています。

 

 

 

なぜなら本来の学びや変化は、

「その人がいないと成立しないもの」ではなく、


自分の内側に戻っていくプロセス

だと思うからです。

 

 

 

おわりに

 

この考え方は、誰かを否定したり、

間違っていると伝えたいものではありません。

 

 

ただ私は、


「強い体験=変化」という見え方よりも、

もっと静かで、日常の中で積み重なっていく変化のほうに関心があります。

 

 

そしてそれは、

今思いついた考えではなく、

ずっと自分の中にあった感覚でもありました。

 

 

それをようやく言葉として外に出せた、
そんな感覚があります。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



夢が叶う人と、なかなか変化を感じられない人の違い

 

 

 

現実が変わり、

夢や願いが次々と叶っていく人がいます。

 

一方で、

 

同じように夢や目標を持っていても、

なかなか変化を感じられない人もいます。

 

では、その違いは何なのでしょうか。

 

私は、その違いのひとつに

「ゴールとの向き合い方」があるように感じています。

 

同じように目標を設定していても、

 

「私はこうなりたい」

「きっと叶えていく」

 

と未来に意識を向けている人もいれば、

 

「叶ったら嬉しいな」

「でも難しいかもしれないな」

 

と、少し距離を置きながら願っている人もいます。

 

もちろん、どちらが良い悪いではありません。

 

ただ、その思いの向け方によって、

日常の行動や選択に少しずつ違いが生まれてくるように感じるのです。

 

夢を叶えたいと思っている人は、

ただ待つだけではなく、

 

チャンスや情報が来たときに掴めるように準備をしたり、

 

小さなことでもできることを始めたりしています。

 

その積み重ねが、

現実を動かすきっかけになっているように見えるのです。

 

実際に私自身も、

ゴールに向かうときはそのような姿勢を大切にしています。

 

私はTikTokライブやYouTubeライブで

現代氣功ヒーリングを行い、

 

夢や目標に向かうサポートをさせていただいています。

 

その中でたくさんのご感想をいただきますが、

 

大きな変化を感じている方ほど、

 

ご自身でも日常の変化を観察したり、

チャンスを受け取ったり、

行動を重ねたりしていることが多いように感じています。

 

反対に、

 

「どうせ変わらないかもしれない」

 

そんな思いが無意識の中にあると、

 

目の前に起きている変化やサインに気づきにくくなることがあります。

 

また、

 

夢を思い描いていても、

 

そのための小さな一歩を踏み出せなかったり、

 

訪れているチャンスに気づけなかったりすることもあります。

 

そうすると、

せっかく現実が動き始めていても、

その変化を受け取れないことがあるのです。

 

ヒーリングは変化を後押しする力になります。

 

ですが、

人生を歩いていくのは誰かではなく自分自身です。

 

だからこそ、

 

「どうなりたいのか」

 

「そのために今できることは何か」

 

を大切にしながら進んでいくことが、

夢の実現につながっていくのだと思います。

 

現実は変わります。

 

夢も叶います。

 

そのために大切なのは、

 

夢を信じること。

 

そして、

 

小さくてもいいので、

自分自身もその未来へ向かって一歩を重ねていくことです。

 

棚からぼた餅を待つのではなく、

 

白馬の王子様を待ち続けるのでもなく、

 

自分の人生を自分の足で歩いていくこと。

 

その一歩一歩が、

夢を現実へと近づけてくれるのだと思います。






魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy


 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



先日、断捨離をしていて、

ふと思い出したことがありました。

 

 

コロナ禍と呼ばれていた頃、

SNSではたくさんの備蓄をされている方を見かけました。

 

数年分とも思える食料品や日用品を

準備されている方もいたように思います。

 

きっと、その方々は

未来への備えとして行動されていたのでしょう。

 

 

そして、その行動自体は

決して悪いことではありません。

 

備蓄は、いざという時の安心につながります。

 

 

 

ただ、ふと思ったのです。

 

もし数年前に大量の備蓄をしていたなら、

今頃は賞味期限や消費期限のラッシュが

来ているかもしれないな、と。

 

 

 

備蓄は持つことよりも、

管理し続けることの方が難しいのかもしれません。

 

 

 

先の未来の自分のために準備することは大切です。

 

 

けれど、

未来への不安が大きくなりすぎると、

 

安心を確保しているつもりが、

今度は管理し続けるための不安を抱えることにもなります。

 

 

たくさん持つことで

安心できる場合もあります。

 

一方で、持ちすぎることで

常に氣にかけなければならなくなることもあります。

 

 

 

安心と不安は、案外

紙一重なのかもしれません。

 

 

 

未来への備えを大切にしながらも、

 

今の自分が心地よく管理できる量を知ることもまた、
大切なのだと思いました。





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

夢実現の一環として、

私は断捨離を続けています。

 

もう10年以上になると思いますが、

それでも何かを手放すときには、毎回少なからず罪悪感を感じます。

 

 

ただ、最近の断捨離は少し違います。

 

今取り組んでいるのは、

「未完了を完了にする断捨離」です。

 

 

期限もなく、放置しようと思えば

いつまでも放置できるもの。

 

だけど目にするたびに

少し氣になっているものや、

心のどこかで引っ掛かっていることがあります。

 

先日、そんなものの一つを手放しました。

 

 

 

それは私の好きな趣味に関係するものでした。

 

しばらくその趣味に手をつけられずにいたため、

その道具も使われないままになっていました。

 

ある日ふと目に入ったのが、

ユースキンのクリームでした。

 

容器を見てみると、

使用期限は二か月前。

 

未開封のものもありましたが、

お肌につけるものなので手放すことにしました。

 

これまでも毎日のように目にはしていました。

 

けれど、使わないまま時間だけが過ぎていたのです。

 

 

 

期限が切れていたから捨てた。

 

そう考えることもできます。

 

 

でも、もし期限が切れていなかったら

どうだっただろうと考えました。

 

きっと私は持ち続けていたと思うのです。

 

 

だけど、その趣味を今やっていないのに持ち続けるのは、

 

「またやらなくちゃ」

「いつか再開しなきゃ」

 

そんな負い目を抱え続けることでもあったのかもしれません。

 

 

 

だから今回は、物だけではなく、

その思いごと手放すことが大切だと感じました。

 

過去の自分を握りしめ続けることは、

ときにサンクコストに似ています。

 

 

また趣味を再開したくなったら、

その時に新しいものを買えばいい。

 

その方が新鮮な気持ちで始められるし、

クリームも新しいものを使えます。

 

断捨離とは、単に物を減らすことではなく、

 

今の自分に必要なものを選び直すことなのかもしれません。




 

 

魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

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どうにかしたい悩みのヒーリングセッション


心を置き去りにしていませんか?

 

 

 

忙しない日々を過ごしていると、

 

いつの間にか自分の心を置き去りにしたまま

毎日を過ごしていることがあります。

 

そんなときは、不思議とお部屋が散らかっていたり、

なんとなく氣持ちに余裕がなかったりして、

 

今の心の状態が見えてくることがあります。

 

忙しさに飲み込まれていることに氣づいたら、

 

意識して心を緩める時間を取ることが大切です。

 

実は、「忙しいな」と感じるときほど、

何かに煮詰まっていたり、

思うように進まなくなっていたりすることも少なくありません。

 

早く終わらせようと頑張り続けるよりも、

 

いったん立ち止まって息抜きをした方が、

結果的にスムーズに進むこともあります。

 

わたしたちは、

 

「休むことは怠けること」

「休んでいる間に誰かに追い抜かれてしまう」

 

そんな価値観の中で育ってきたこともあり、

 

休むことや息抜きをすることが

あまり得意ではないのかもしれません。

 

実は、わたしも以前はそうでした。

 

けれど、思い切って本氣で休むようになってからは、

 

物事がスムーズに進むようになり、

自然とやる氣も湧いてくるようになりました。

 

 

 

あなたは、上手に息抜きできていますか?

 

 

 

もし最近少し頑張りすぎているなら、

 

一度、本氣で休んでみてくださいね。

 

 

 

きっと、

あなた本来の力が見えてくると思います。^^





魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

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どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

 

 

 

わたしたちは日々、

さまざまな情報に触れながら生きています。

 

 

人との会話、SNS、仕事の場面、学びの時間。

 

そのすべての中で

「世界を理解している」と感じる瞬間があります。

 

 

 

しかし実際には、

その理解はとても限定的であることが

多いのかもしれません。

 

 

 

人は無意識のうちに、

「自分にとって都合の良い部分」や

「理解しやすい部分」だけを切り取って

世界を捉える傾向があります。

 

これは意図的なものというよりも、

むしろ自然な認知の仕組みです。

 

 

 

 

・人は「全部」を見ることができない

 

どれほど丁寧に誰かの話を聞いたとしても、

その人の人生のすべてを理解することはできません。

同じように、ある思想や価値観、関係性についても、

 

わたしたちはその一部だけを切り取って理解しています。

 

 

 

例えば、

ある人の言葉がとても魅力的に感じられたとしても、

 

その背景にある行動や別の側面までは

見えていないことがあります。

 

逆に、

たった一つの違和感によって、

その人全体を判断してしまうこともあります。

 

 

 

このように、

人は「部分」を「全体」だと

錯覚しながら世界を捉えているのです。

 

 

 

 

・認知のフィルターという仕組み

 

この現象は心理学的には

「認知のフィルター」として

説明されることがあります。



 

わたしたちは膨大な情報のすべてを

処理することができないため、無意識に

 

自分にとって心地よい情報

過去の経験に似ている情報

理解しやすい情報

 

を優先的に受け取ります。

 

 

 

 

その結果、

同じ出来事を見ていても、

人によってまったく違う理解が生まれます。

 

 

これは「間違い」ではなく、

人間の自然な働きです。

 

 

 

 

・都合の良い理解と悪意の違い

 

ここで大切なのは、

このフィルターは悪意ではないということです。

 

誰かが意図的に世界を歪めているというよりも、

ほとんどの場合は「そう見えてしまう」という

自然な現象です。

 

 

 

つまり、

人はみなそれぞれのフィルターを通して

世界を生きています。


 

だからこそ、

同じ出来事でも解釈が違ったり、

価値観がすれ違ったりするのは

当然のことなのかもしれません。

 

 

 

・フィルターに氣づくということ

 

この認知のフィルター自体をなくすことはできません。

 

しかし、

「自分にもフィルターがある」と氣づくことはできます。

 

この氣づきがあると、

 

 

一つの情報だけで判断しない

相手の一面だけで決めつけない

自分の感情も絶対視しない

 

という余白が生まれます。

 

 

 

それは、

すぐに答えを出さない姿勢でもあります。

 

 

 

 

・人を知るということ

 

人を知ることは、

エネルギーのいることです。

 

時間もかかるし、

思っていたイメージが変わることもあります。

そしてその変化が、時に

がっかりや違和感を生むこともあります。

 

 

 

だからこそ、

人と関わることは慎重にもなりますし、

無理に深く関わらなくてもいいという選択も

自然なものです。

 

 

 

一方で、

興味があるときだけ少しずつ知っていく

という関わり方もあります。



 

どちらが正しいということではなく、

自分にとって無理のない距離感を選ぶことが

大切なのだと思います。

 

 

 

 

私たちは世界を

「そのまま」見ているようでいて、


実際には

「自分のフィルターを通した一部」を見ています。

 

 

そのことに氣づくだけで、

人との関係や物事の捉え方は

少し柔らかくなるのかもしれません。

 

 

 

完璧に理解することよりも、

「理解はいつも途中である」という前提を持つこと。


 

それが、
少し楽に世界と関わるための
ひとつの視点なのではないでしょうか。





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どうにかしたい悩みのヒーリングセッション

 

 

 

何か夢ややってみたいことを思いついたとき、

最初はとてもワクワクして、


「これやってみたい」

「きっと面白いかもしれない」と


心が動く瞬間があります。

 

 

 

でもそのすぐ後に、

「本当にこれでいいのだろうか」

「批判されたらどうしよう」

「失敗したら恥ずかしい」といった

氣持ちが出てきて、


氣づけば一歩も動けなくなってしまうことがあります。

 

 

 

そしてそのまま、

考えるだけで夢がしぼんでしまう、

そんな経験を繰り返してきた人も多いのではないかと思います。

 

 

 

 

かつての

わたし自身もそうでした。

 

 

 

 

頭の中ではいろいろと想像しているのに、

外に出すことができないまま、

その夢は自分の中だけで終わってしまう。




 

でも今振り返って思うのは、


「外に出していないものは、誰にも届かない」という、

とてもシンプルな事実です。

 

 

 

どれだけ素敵なアイデアや思いがあっても、

それを表現しなければ、

誰かにとって必要なものかどうかも分かりません。

 

 

 

 

そして多くの場合、


自分が「これは普通だ」と思っていることや、

「これくらいなら誰でもできる」と感じていることほど、

他の人にとっては価値があるものだったりします。

 

 

 

だからこそ、

それを外に出してみないと、

本当の意味での需要や意味は分からないのだと思います。

 

 

 

 

一方で、

行動を止めてしまう背景には、

 

「失敗したくない」

「恥ずかしい思いをしたくない」

「批判されたくない」

 

という自然な怖さがあります。

 

 

 

 

でも失敗というものは、

本来それほど悪いものではなくて、


むしろ新しいものを生み出すための

過程の一つなのだと思います。

 

 

 

 

うまくいかない経験があるからこそ、

より良い方法にたどり着いたり、

新しい発想が生まれたりする。

 

 

 

実際に、

わたしたちが日常で使っているものの中にも、

失敗から生まれた発明はたくさんあります。

 

例えば青色LEDのように、

最初の試行錯誤があったからこそ

今の形になったものもあります。

 

 

 

 

もちろん、

一度でうまくいく人もいますが、

 

その裏には見えない経験や積み重ねがあることがほとんどです。




 

だから本当は、

「失敗しないこと」を目指すよりも、

 

「やってみた結果から何を受け取るか」

のほうが大事なのかもしれません。

 

 

 

 

夢は、
頭の中にあるだけでは
まだ形になっていなくて、

外に出したときに初めて
動き始めるものなのだと思います。




魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

 

現状を変えたいなら、まずはここから

今抱えているお悩み解消のヒーリングセッション

 

 

ふと「こじらせ女子」という言葉が氣になったことをきっかけに、

その意味を考えていました。


 

一般的には、恋愛や人間関係で素直になれず、

うまくいかなくなってしまう女性を指す言葉として使われているように思います。

 

 

でも実際に自分の経験や周りの人間関係を振り返ってみると、

それは単純に「その人の性格の問題」とは

言い切れないように感じました。

 

 

 

相手の態度が曖昧だったり、

急に距離が変わったり、

何を考えているのか分からないまま関係が進むと、


人は自然と不安になります。

 

 

 

 

その不安の中で


「どう受け取ればいいのか」

「自分が悪いのかもしれない」と、

自分の中で答えを探し始めてしまう。

 

 

 

本当は、分からないことは相手に聞けばいいのかもしれません。

 

でも、嫌われるのが怖かったり、

自分に原因があると思い込んでいたりすると、

その一歩がとても難しくなってしまいます。

 

 

その結果、外から見ると

「こじらせているように見える反応」に

なってしまうことがあるのだと思います。

 

 

でもそれは、

ただ単にその人が面倒な性格なのではなくて、

「安心して確認できる関係性になっていなかっただけ」

なのかもしれません。

 

 

また一方で、相手側にも、

無意識のうちに態度が揺れたり、

距離感が安定しなかったりすることがあります。

 

その曖昧さが、

さらに相手の不安を大きくしてしまうこともある。

 

 

 

つまりこれは、

一方の問題というよりも、

関係の中で起きる“相互作用”のようなものだと感じました。



 

そしてもう一つ感じたのは、


「恋愛がある・ない」

「結婚している・していない」

 

といった表面的な状態だけでは、

人の誠実さや人間性は分からないということです。

 

 

現実には、関係があることと

人としての成熟度は必ずしも一致しませんし、

逆に関係がないからといって問題があるとも限りません。

 

 

そうした

“社会的なイメージ”と

“現実の人間関係”の間にはズレがあって、

 

そのズレの中で、

人は自分を責めてしまうこともあるのだと思います。

 

 

 

私はこれまでの経験の中で、


「自分に何か欠けているのではないか」

と感じてしまうことがありました。



でも今振り返ると、


それは必ずしも自分の問題ではなく、

関係の中で起きていたことを

自分の中に引き受けすぎていたのかもしれません。

 

 

 

今は、人との関わり方そのものを
もう少し丁寧に見ていくことで、
見え方が変わってくるのではないかと感じています。




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抱えているそのお悩み解消のヒーリングセッション



前回、「相手の自由を尊重するということ」

という記事を書きました。

 

その後、改めて考えていて気づいたことがあります。

 

 

それは、

自由に選ぶことと、自己信頼は

深くつながっているということです。

 

 

わたしは、人が自由に選択するためには、

自分自身を信頼できていることが大切だと思っています。

 

 

なぜなら、

自分を信頼できない時、

人はどうしても外側に答えを求めてしまうからです。

 

 

「あの人が正しいと言うなら。」

「みんなが選んでいるなら。」

「有名な人が勧めているなら。」

 

 

そんなふうに、

自分の外側にある基準を頼りたくなります。

 

もちろん、

人から学ぶことは大切です。

 

 

経験者の知恵や専門家の知識に

助けられることもたくさんあります。

 

 

わたし自身も、多くの人から学んできました。

 

けれども、

本当に良い学びとは何だろうと考えた時、

わたしはこう思うのです。

 

 

 

それは、

その人が最終的に自分の足で立てるようになること。

 

 

自分で考えられるようになること。

 

自分で選べるようになること。

 

そして、

自分自身を信頼できるようになること。

 

 

 

もし学び続けても、

 

「あの人がいないと決められない。」

「あの人が何と言うかが気になる。」

「正解を教えてもらわないと不安になる。」

 

そんな状態のままだとしたら、

それは本当の意味で力になっているとは言えないのかもしれません。

 

 

わたしは時々、それを

補助輪に例えることがあります。

 

補助輪は悪いものではありません。

 

 

自転車に乗る練習をする時には、

とても役立ちます。

 

 

けれども、

補助輪の目的は、

ずっとつけ続けることではありません。

 

 

いつか外して、

自分で走れるようになることです。

 

 

 

もし補助輪を外せないままになっていたらどうでしょう。

 

 

 

本人は進んでいるように感じるかもしれません。

 

けれども、本当の意味で

自分の力で走っている感覚は得られないかもしれません。

 

 

これは、

人間関係や学びの世界でも同じように感じます。

 

 

 

人によっては、

恐怖や不安を使って人を引き留めようとすることがあります。

 

「これをやめたら不幸になる。」

「この人から離れたら成功できない。」

「今すぐ決断しないと手遅れになる。」

 

 

そうした言葉は、

一見すると人を導いているようにも見えます。

 

 

けれども、その奥では、

 

 

「自分では選べない。」

「自分では判断できない。」

「外側に正解がある。」

 

という感覚を強めてしまうことがあります。

 

 

結果として、

自分を信頼する力は育ちにくくなります。

 

 

人生のハンドルを握っているようで、

実は誰かに握ってもらっている状態です。

 

 

 

わたしは、本来の人間の姿は

そうではないと思っています。

 

人は一人ひとり、

自分で感じる力を持っています。

 

考える力を持っています。

 

選ぶ力を持っています。

 

 

 

もちろん、

間違うこともあります。


 

迷うこともあります。

 

失敗することもあります。

 

 

 

けれども、

それらを含めて人生なのだと思います。

 

 

 

誰かが用意した正解を

追い続ける人生よりも、

 

「私はこう感じる。」

「私はこう選ぶ。」

 

と生きる人生のほうが、

生きている実感があるのではないでしょうか。

 

 

 

自分で選び、自分で責任を引き受ける。

 

 

 

その積み重ねが

自己信頼を育てていくのだと思います。

 

そしてわたしは、

人と人との理想的な関係も、

依存ではなく自立の上に成り立つものだと感じています。

 

 

 

誰かに従う人と、従わせる人。

 

正解を持つ人と、正解を教わる人。

 

 

そんな関係ではなく、

 

それぞれが自分の足で立ちながら出会う関係です。

 

それぞれが自分の感覚を持ち、

それぞれが自分の考えを持ち、

それでも互いを尊重しながら関わる。

 

 

 

そこから新しい発想や創造が生まれていく。

 

 

わたしはそんな関係に希望を感じます。

 

 

だからこそ、

相手を尊重するということは、

相手をコントロールしないことなのだと思います。

 

 

 

相手を不安で動かさないこと。

 

相手の選択を奪わないこと。

 

 

そして何より、

 

相手の選ぶ力を信頼すること。

 

 

それが本当の意味での

尊重なのではないでしょうか。

 

そして同時に、

自分自身の選ぶ力を信頼すること。

 

その自己信頼こそが、
自分の人生を生きるための土台なのだと感じています。





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どうにかしたい悩みのヒーリングセッション



 

 

最近、SNSを見ていて感じることがあります。

 

それは、人に何かを伝える時の「伝え方」についてです。

 

自分自身が本当に良いと思える技術や知識、考え方に出会うと、

それを誰かにも伝えたくなるのは自然なことだと思います。

 

実際、私自身にもそんな時期がありました。

 

 

 

「こんなに素晴らしいものがあるなら、もっと多くの人に知ってほしい。」

 

そう思うこと自体は、

とても自然なことです。

 

けれども最近、

少し気になる発信を見かけることがあります。

 

 

それは、自分の知っている方法や技術を伝えるために、

他の方法を否定したり、見下したりするような発信です。

 

 

 

「あれは間違っている。」

「本物はこれだけだ。」

「これを知らない人は騙されている。」

 

そんな言葉を目にすることがあります。

 

 

もちろん、その発信者の方も悪意があるわけではなく、

本当に良いと思っているからこそ伝えているのかもしれません。

 

 

けれども私は、その内容そのものよりも、

そこにある姿勢に違和感を覚えるのです。

 

なぜなら、本当に大切なのは

「相手が自分で選べること」だと思うからです。

 

 

わたしは、

 

「私はこれが良かった。」

「こういう考え方もある。」

「こんな可能性もある。」

 

そんなふうに伝えることは素敵だと思います。

 

 

一方で、

 

「これを知らないと損をする。」

「今すぐ決めないとチャンスを逃す。」

「本物を知らない人は騙されている。」

 

という伝え方には、どこか息苦しさを感じます。

 

 

 

そこには、相手が考える余地や

選ぶ余地が少なくなってしまうからです。

 

 

 

以前、SNSでは

 

「飛ばすと幸せになれません。」

「飛ばすと運を逃します。」

 

といった投稿をよく見かけました。

 

 

私はそういう投稿を見るたびに、

そのまま通り過ぎていました。

 

なぜなら、その内容が正しいかどうか以前に、

不安や恐怖を使って人を動かそうとしているように感じたからです。

 

 

危険を伝えることと、不安を煽ることは違います。

 

本当に相手を大切に思うなら、

相手が安心した状態で考え、

自分で選べるように伝えることができるはずです。

 

 

けれども不安や恐怖を利用した発信は、

考える時間や余白を奪ってしまいます。

 

「今すぐ。」

「急いで。」

「逃したら終わり。」

 

そうやって焦りを生み出し、人を誘導していく。

 

 

わたしはそのやり方に魅力を感じません。

 

 

また、「成功する人は決断が早い」

という言葉もよく耳にします。

 

もちろん、決断力が大切な場面はあります。

 

 

けれども、その言葉が

 

「迷う人はダメだ。」

「考える時間を取るのは間違いだ。」

 

という圧力として使われるなら、

それもまた違うように思います。

 

 

大切なのは、早く決めることではなく、

自分で納得して選ぶことではないでしょうか。

 

 

そして私は、こうした発信が増えた背景には、

現代社会の流れもあるのではないかと感じています。

 

 

長い間、多くの人が

 

「みんなが選んでいるから」

「多数派だから」

「有名な人が言っているから」

 

という基準で判断することに慣れてきました。

 

 

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

 

 

けれども、その結果として、

自分で考え、自分で選ぶ力を使う機会が

少なくなってきた面もあるのかもしれません。

 

 

そこへSNSやマーケティングの技術が加わり、

人の不安や焦りを刺激する発信が広がりやすくなったようにも感じます。

 

だからこそ、

これからの時代に大切なのは、

自分で考えることではないでしょうか。

 

 

誰かを盲信することでもなく、

誰かの不安に乗せられることでもなく、

 

 

「私はどう感じるだろう。」

「私にとって本当に大切なものは何だろう。」

 

と問いかけること。

 

 

 

そして発信する側もまた、

 

相手を動かすことよりも、

相手の自由を尊重すること。

 

相手を説得することよりも、

相手が自分で選べること。

 

そんな姿勢を大切にできたら素敵だなと思います。

 

なぜなら、本当に人を尊重するということは、
相手から考える力や選ぶ力を奪わないことだと思うからです。





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不足すると、人はなぜ踊らされるのか

 

 

最近、「ビニール手袋が不足するかもしれない」という話を聞きました。

実際、遠い親戚の方から、「不足するかもしれないから」とビニール手袋を少し分けていただきました。

 

もちろん、その気持ちはとてもありがたかったです。

ただ同時に、私はふとこう思いました。

 

「そんなに騒ぐことなのだろうか?」と。



 

思い返せば、これまでもいろいろなものが「不足する」と言われてきました。

 

お米、マスク、トイレットペーパー、ゴミ袋……。

 

 

 

すると、それまでそこまで重要視されていなかったものまで、

急に“とても大切なもの”に見え始め、

人々は不安になり、買いだめを始めます。

 

 

でも、その光景を見ていると、私は時々思うのです。

 

人は、「不足」という言葉に踊らされすぎていないだろうか、と。

 

 

 

コロナの時、私自身も不安を感じました。


何が本当なのかよく分からない状態でしたし、

「マスクがなくなる」と言われれば焦りもしました。

 

でも、結果的には、当初言われていたほど

極端な状況にはならなかった部分もありました。



そして何より、その過程で

たくさんの工夫や代替案、新しい商品も生まれていきました。

 

 

歴史を見ても、不足が起きれば、

必ず誰かが新しい方法を考えます。

 

 

企業が代替品を開発したり、

今までになかった発明が生まれたり、

 

むしろ従来より便利なものが生まれることだってある。



 

人間には、本来それだけの

知恵や創造性があるのだと思います。


 

だから私は、

「これがないと絶対ダメ」という考え方に、

少し寂しさを感じます。

 

もちろん、備えは大切です。

不安になること自体も自然なことです。

 

 

 

だけど、

 

「みんながやっているから」

「みんなが買っているから」

 

という理由だけで流されてしまうと、

自分で考える力を手放してしまうことにもつながる気がするのです。

 

 

 

本当に必要なのか。

他の方法はないのか。

工夫できることはないのか。

 

 

 

そうやって、一度立ち止まって自分で考えること。

 

それは、ただの節約や買い物の話ではなく、

「自分の人生の舵を誰が握るのか」ということにもつながっている気がします。

 

私は、安心というものは、

外側の物だけが与えてくれるものではないと思っています。

 

もちろん、物に助けられることもあります。

でも最終的に、

 

「大丈夫。考えればきっと道はある」

 

そう思える力こそが、

本当の安心の種なのではないでしょうか。

 

 

 

安心の鍵は、外だけではなく、

自分の内側にもある。

 

私はそんなふうに思っています。




魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy

 

 

 

 

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